日本歴史地名大系 「今治道・西条道」の解説 今治道・西条道いまばりみち・さいじようみち 愛媛県:総論今治道・西条道松山札(ふだ)ノ辻(つじ)から北へ向かい、高縄(たかなわ)半島を海に沿って進み、今治城下に至る。国道一九六号とほぼ軌を一にする。なお今治からは海岸沿いに西条に至る道に連なる。この道筋における江戸時代の村方番所は堀江(ほりえ)村・田坂中(和気郡)、原(はら)村・浅海(あさなみ)・北条(風早郡)、波方(はがた)村のうち二ヵ所・種子(たね)村・菊間(きくま)村・来島(くるしま)・大井(おおい)・新町(しんまち)(野間郡)、河原津(かわらづ)のうち二ヵ所・壬生川(にゆうがわ)・三津屋(みつや)・寄合(よりあい)(桑村郡)に置かれていた。制札立所は堀江(和気郡)、柳原(やなぎはら)・北条(風早郡)、菊間・波方・来島・大井・新町・波止(はし)(野間郡)、桜井(さくらい)(越智郡)、三津屋・新市(しんいち)・丹原(たんばら)・来見(くるみ)(周布郡)、壬生川・新町(桑村郡)にあった。松山札ノ辻と本(ほん)町の辺りは江戸時代松山随一の繁華街で、老舗が軒を並べていた。旧道は札ノ辻から木屋(きや)町を北に抜けて山越(やまごえ)の土手に出た。江戸時代松山六ヵ所の公儀番所の一つである三津口(みつぐち)番所はその途中にあり、木屋町にも木屋町番所があった。姫原(ひめばら)から鴨川(かもがわ)に至る間は長戸(ながと)池を中に挟んで道が曲折しているので七曲(ななまがり)と称したが、北からの敵に備えたものという(現在は改修されてしまった)。行進速度を遅らせるとともに、高所から曲り角ごとに人馬の数を計測するためであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by