日本大百科全書(ニッポニカ) 「木梨軽皇子」の意味・わかりやすい解説
木梨軽皇子
きなしのかるのおうじ
允恭(いんぎょう)天皇の第1皇子。母は忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)。允恭天皇23年6月皇太子となるが、天皇没後、即位する前に、同母妹軽大郎女(かるのおおいらつめ)との相姧(そうかん)(正規の手続によらない婚姻関係の罪)が発覚し、群臣・百姓らが背いて穴穂皇子(あなほのおうじ)(安康(あんこう)天皇)についたので、物部大前宿禰(もののべのおおまえすくね)の家に逃れて兵をあげようとしたが、逆に穴穂皇子の兵に包囲されて自殺した。記および紀所引の一つでは、このとき捕らえられて伊予(いよ)(愛媛県)に流されたともいい、『万葉集』に、伊予において辞世のとき詠まれたと伝える長歌(3263番歌)がみえる。なお、紀は前記の罪の際、皇子は皇太子であったため罰しえず、軽大郎女のみ伊予に流したとするが、記紀ともに歌謡を盛り込んだ創作性に富む文脈を構成しており、史実の抽出は簡単でない。
[菊池克美]