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木梨軽皇子 きなしのかるのおうじ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木梨軽皇子 きなしのかるのおうじ

記・紀にみえる允恭(いんぎょう)天皇の第1皇子。
母は忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)。同母妹の軽大娘(かるのおおいらつめの)皇女との相愛関係が発覚したが,皇太子であったため刑をまぬかれ,妹のみ伊予(いよ)に流された。天皇没後,人望をえていた同母弟穴穂皇子(安康天皇)と皇位継承をあらそい,挙兵しようとしたが失敗。物部大前(もののべの-おおまえ)の家にのがれて自決したという。
【格言など】笹葉に打つや霰(あられ)のたしだしに率寝(ゐね)てむ後は人は離(か)ゆとも(「古事記」)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

木梨軽皇子

生年:生没年不詳
允恭天皇忍坂大中姫 の子。允恭23(434)年,太子に立てられる。同母妹の軽大娘皇女との近親相姦の罪に問われたが,太子ゆえに許され,皇女は伊予(愛媛県)に流されたという。天皇の死後,皇位継承を群臣の支持する同母弟の穴穂皇子(安康天皇)と争ったが敗れ,物部氏の家で自決した(一説に伊予に流された)という。『古事記』『日本書紀』の記載は大筋で一致するが,『古事記』が軽大娘皇女と忍坂大中姫の妹衣通郎女を同一人物とする点が異なっている。皇位継承に際して,群臣の推戴がひとつの要件になっていたことを示す説話でもある。<参考文献>津田左右吉『日本古典の研究』下

(荒木敏夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

木梨軽皇子
きなしのかるのおうじ

允恭(いんぎょう)天皇の第1皇子。母は忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)。允恭天皇23年6月皇太子となるが、天皇没後、即位する前に、同母妹軽大郎女(かるのおおいらつめ)との相(そうかん)(正規の手続によらない婚姻関係の罪)が発覚し、群臣・百姓らが背いて穴穂皇子(あなほのおうじ)(安康(あんこう)天皇)についたので、物部大前宿禰(もののべのおおまえすくね)の家に逃れて兵をあげようとしたが、逆に穴穂皇子の兵に包囲されて自殺した。記および紀所引の一つでは、このとき捕らえられて伊予(いよ)(愛媛県)に流されたともいい、『万葉集』に、伊予において辞世のとき詠まれたと伝える長歌(3263番歌)がみえる。なお、紀は前記の罪の際、皇子は皇太子であったため罰しえず、軽大郎女のみ伊予に流したとするが、記紀ともに歌謡を盛り込んだ創作性に富む文脈を構成しており、史実の抽出は簡単でない。[菊池克美]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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