仏国記(読み)ブッコクキ

デジタル大辞泉 「仏国記」の意味・読み・例文・類語

ぶっこくき【仏国記】

中国旅行記。1巻。東晋の僧の法顕著。仏教研究のため西域を経てインドを旅行したときの見聞録で、5世紀初めの各地を知る貴重な資料法顕伝

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精選版 日本国語大辞典 「仏国記」の意味・読み・例文・類語

ぶっこくき【仏国記】

  1. 中国の地理書一巻。法顕(ほっけん)撰。三九九年から四一三年のインド旅行中巡歴した中央アジアなどの三十余国に関する体験を記す。中国のインド紀行文献中現存最古のもの。法顕伝。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「仏国記」の解説

『仏国記』(ぶっこくき)

東晋の僧法顕(ほっけん)著作。1巻。399年長安を出て,西域をへてインドに入り,セイロン南海をへて,413年山東に帰着するまでの旅行記。仏教史だけでなくインド,中央アジア,南海諸国の歴史研究に重要な情報を提供している。

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百科事典マイペディア 「仏国記」の意味・わかりやすい解説

仏国記【ぶっこくき】

中国,東晋(しん)の法顕(ほっけん)の旅行記。《法顕伝》とも。399年長安を出発し,西域経由で北インドに入り,中インド,セイロンの仏跡を巡り,413年に海路帰国した記録。中国人の入竺(にゅうじく)記録としては現存最古。

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旺文社世界史事典 三訂版 「仏国記」の解説

仏国記
ぶっこくき

東晋の僧法顕 (ほつけん) の旅行記。『法顕伝』ともいう
法顕が399年に長安を出てから,西域諸国・インド・セイロンなどで仏典を求め,仏跡を巡歴して,413年に海路帰国するまでの記録。仏教史研究の貴重な史料である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「仏国記」の意味・わかりやすい解説

仏国記
ぶっこくき

法顕」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の仏国記の言及

【寺院】より

… 第1に,マガダのビンビサーラ王が王舎城内の竹林をブッダとその教団へ寄進し,また,須達(しゆだつ)長者が祇陀(ぎだ)太子から園林を買い取って寄進したという祇園(祇樹給孤独園(ぎじゆぎつこどくおん))の名からも知られるように,早くから国王の保護や大商人の経済的援助をうけて発展したことが挙げられる。5世紀初めの法顕の《仏国記》によれば,彼らは寺院を建てる場合,僧院の経済を支えるべく,果樹園や牧場,そこに働く人々(奴婢)までも併せ寄進したという。また,7世紀末に義浄は富裕な僧院が穀物,金銀財宝をあり余るほど蓄えていることを嘆いている。…

【巡礼】より

…求法僧たちは,正法を学び梵経を将来することを第一の目的としたが,同時に仏跡を巡礼しようとしたのである。たとえば,東晋の法顕は,399年(隆安3)に長安を出発し,ヒマラヤを越えてインドの北部に入り,さらにインドの中部とスリランカの仏跡を巡拝し,412年(義熙8)に南海経由で帰国して,その間の見聞を《仏国記》または《法顕伝》として書き残した。唐の玄奘の旅行記である《大唐西域記》や義浄の《大唐西域求法高僧伝》は,いずれも仏跡巡礼記の性格を兼ね備えていたのである。…

【法顕】より

…30余国を遍歴したのち,戒律などのサンスクリット経典をもって,海路帰国の途についたが,暴風雨に遭い,412年(義熙8)に青州長広郡(山東省)にひとり無事に帰着した。この14年間にわたる旅行中の見聞を著したのが,《仏国記》つまり《高僧法顕伝》である。建康(南京)の道場寺でブッダバドラ(仏陀跋陀羅)とともに《摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)》《大般泥洹経(だいはつないおんきよう)》など6部63巻にのぼる経律を漢訳した後,荆州辛寺で亡くなった。…

※「仏国記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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