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中国の南北朝時代の王朝の一つ(317~419)。晋(西晋)が滅ぶと,王族の司馬睿(しばえい)(元帝)は有力者に推戴され,建業(現,南京)に王朝を復興し,華北から多くの人が流入した。383年には淝水(ひすい)の戦で前秦の南下を防ぎ,以後王朝は江南の開発につとめ,王羲之(おうぎし)・顧愷之(こがいし)の書画や陶淵明(とうえんめい)の詩に代表される貴族文化が栄えた。しかし王権は弱く権勢家をおさえきれず,農民反乱の混乱のなかで恭帝は,軍功のある武人の劉裕(りゅうゆう)(宋の武帝)に禅譲して東晋は滅んだ。なお413年,倭王讃(さん)は高句麗と並んで東晋に方物を献上したという。
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「晋[魏晋南北朝]」のページをご覧ください。
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…220年漢帝国が滅亡してから589年隋によって中国が再び統一されるまでの時代。建康(南京)に首都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の江南6王朝を六朝というが,六朝の語でこの時代を総称する場合もある。この時代の特徴は政治権力の多元化にあり,短命な王朝が各地に興亡して複雑な政局を織りなし,はなはだしい場合には十指に余る政権が併立した(図)。…
…ついで漢は西晋の首都洛陽を占拠し,漢族社会は大混乱におちいった(永嘉の乱)。漢族政権は江南に亡命をよぎなくされ(東晋),ここに華北は五胡十六国時代となる。 前趙は一時,関中(渭水盆地)一帯をも占領したが,匈奴の一派羯族出身の石勒に併呑された(後趙)。…
…265‐420年。都が洛陽に置かれた時代を西晋,都が江南の建康(南京)にうつった317年以後を東晋とよぶ。
[西晋]
後漢の清流士大夫の流れをくむ名族の司馬氏は,魏の重臣となった司馬懿(しばい)が249年(嘉平1)のクーデタによって反対党の曹爽(そうそう)一派を倒して以来,その子の司馬師・司馬昭の時代にいたってますます権勢をほしいままにした。…
※「東晋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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