東晋(読み)トウシン(その他表記)Dōng Jìn

デジタル大辞泉 「東晋」の意味・読み・例文・類語

とう‐しん【東晋】

しん

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改訂新版 世界大百科事典 「東晋」の意味・わかりやすい解説

東晋 (とうしん)
Dōng Jìn

中国,晋王朝華北を放棄し,江南にうつって建康南京)に都を置いた時代。317年から420年,元帝司馬睿(しばえい)から恭帝司馬徳文まで11代。創業の初めにあたって王朝の命数を占った郭璞(かくはく)は,〈二百年を享(う)けん〉といったという。〈百二年〉をひっくりかえして〈二百年〉といったのであり,およそ102年で滅んだ。おなじく都を建康に置いた三国の呉および南朝4王朝とともに六朝の一つにかぞえられる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東晋」の解説

東晋
とうしん

中国の南北朝時代の王朝の一つ(317~419)。晋(西晋)が滅ぶと,王族の司馬睿(しばえい)(元帝)は有力者に推戴され,建業(現,南京)に王朝を復興し,華北から多くの人が流入した。383年には淝水(ひすい)の戦で前秦の南下を防ぎ,以後王朝は江南の開発につとめ,王羲之(おうぎし)・顧愷之(こがいし)の書画陶淵明(とうえんめい)の詩に代表される貴族文化が栄えた。しかし王権は弱く権勢家をおさえきれず,農民反乱の混乱のなかで恭帝は,軍功のある武人劉裕(りゅうゆう)(宋の武帝)に禅譲して東晋は滅んだ。なお413年,倭王讃(さん)は高句麗と並んで東晋に方物を献上したという。

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百科事典マイペディア 「東晋」の意味・わかりやすい解説

東晋【とうしん】

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「東晋」の解説

東晋(とうしん)

晋(しん) ②

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東晋」の意味・わかりやすい解説

東晋
とうしん

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旺文社世界史事典 三訂版 「東晋」の解説

東晋
とうしん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東晋」の意味・わかりやすい解説

東晋
とうしん

「晋[魏晋南北朝]」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の東晋の言及

【魏晋南北朝時代】より

…220年漢帝国が滅亡してから589年隋によって中国が再び統一されるまでの時代。建康(南京)に首都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の江南6王朝を六朝というが,六朝の語でこの時代を総称する場合もある。この時代の特徴は政治権力の多元化にあり,短命な王朝が各地に興亡して複雑な政局を織りなし,はなはだしい場合には十指に余る政権が併立した(図)。…

【五胡十六国】より

…ついで漢は西晋の首都洛陽を占拠し,漢族社会は大混乱におちいった(永嘉の乱)。漢族政権は江南に亡命をよぎなくされ(東),ここに華北は五胡十六国時代となる。 前趙は一時,関中(渭水盆地)一帯をも占領したが,匈奴の一派羯族出身の石勒に併呑された(後)。…

【晋】より

…265‐420年。都が洛陽に置かれた時代を西晋,都が江南の建康(南京)にうつった317年以後を東晋とよぶ。
[西晋]
 後漢の清流士大夫の流れをくむ名族の司馬氏は,の重臣となった司馬懿(しばい)が249年(嘉平1)のクーデタによって反対党の曹爽(そうそう)一派を倒して以来,その子の司馬師・司馬昭の時代にいたってますます権勢をほしいままにした。…

※「東晋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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