仏生山街道
ぶつしようざんかいどう
高松藩五街道の一。高松城下から法然寺山門に至る道。歴代藩主の参詣が度々行われたので御成街道ともよばれる。高松城南大手の常磐橋を起点に丸亀町・南新町と城下の中心路を南進し、田町南端の番所を通って、御林(現栗林公園)東側の、俗に別れ股といわれたところで金毘羅街道と分れて南東に進み、太田池の南でさらに南東に向かい仏生山に至る。太田の分岐点には天保二年(一八三一)の銘がある金毘羅灯籠が現存し、西に向かうと金毘羅街道である。仏生山はもと香川郡百相村の地で、寛文一〇年(一六七〇)松平頼重が那珂郡小松庄(現仲多度郡満濃町)にあった生福寺を再興、移築し、仏生山来迎院法然寺と称し菩提寺として以来朱印地となり(増補高松藩記)、その山号をとって仏生山門前町として発達した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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