代明親王(読み)よしあきらしんのう

朝日日本歴史人物事典 「代明親王」の解説

代明親王

没年承平7.3.29(937.5.12)
生年延喜4(904)
平安初期の皇族。三品中務卿醍醐天皇更衣藤原鮮子(伊予介連永の娘)の子。初名を将観といい,8歳のときに改名。右大臣贈従一位藤原定方の娘との間に,荘子女王(村上女御),源重光,保光,延光の4人をもうけたが,承平6(936)年3月妻を亡くしたのちは子供らをつれて定方の屋敷に移り住んだという(『大和物語』)。息子たちはいずれも源姓を与えられて臣籍に下り,公卿となっている。母が更衣であったことから皇位継承圏外にあり,そのためか比較的穏やかな生活を送っていたが,34歳でにわかに没した。死因は明らかでない。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「代明親王」の解説

代明親王 よりあきらしんのう

904-937 平安時代中期,醍醐(だいご)天皇皇子
延喜(えんぎ)4年生まれ。母は藤原鮮子(せんし)。中務卿(なかつかさきょう)となり,三品(さんぼん)にすすんだ。藤原定方(さだかた)の娘との間に源重光・保光・延光と荘子(そうし)女王の4子がある。承平(じょうへい)7年3月29日死去。34歳。初名は将観。名は「よしあきら」「よあきら」ともよむ。

代明親王 よしあきらしんのう

よりあきらしんのう

代明親王 よあきらしんのう

よりあきらしんのう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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