筥崎八幡宮ともいう。
「筥崎宮縁起」によれば、延長元年(九二三)大宰少弐藤原真材が筑前国
託宣では同時に神宮寺の建立も指示されている。確実な史料では、承平七年(九三七)一〇月四日千部寺僧兼祐が神宮寺に多宝塔を造営し、法華経一千部を書写・安置することを申請し許可されたことがみえる(「大宰府牒」石清水文書/大日本古文書四―二)。この多宝塔は最澄が発願した六基のうち、造立されていなかった宇佐弥勒寺分であるという。多宝塔を供養した塔院の所領として、正暦三年(九九二)九月二〇日に筑前国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福岡市東区箱崎に鎮座。旧官幣大社。《延喜式》の神名帳には八幡大菩薩筥崎宮(名神大社)と記され,《石清水文書》の937年(承平7)の文書に筥崎宮とある。祭神は一ノ戸(右殿)応神天皇,二ノ戸(中殿)神功皇后,三ノ戸(左殿)玉依姫命。《筥崎宮縁起》などによれば,宇佐八幡宮の託宣により創設され,もと筑前穂浪郡の大分宮(だいぶぐう)に鎮座していたが,921年(延喜21)に八幡大菩薩の託宣がくだり,この地では三つの悪が生じるので,放生会の頓宮のある筥崎に遷座するように大宰府官人に告げたとする。そして923年(延長1)に造営遷座したとする。筥崎宮には神宮寺が創設され,宇佐宮との関係も密接で,9世紀に最澄が発願していた宇佐宮分六所宝塔として,937年になると多宝塔が筥崎宮神宮寺に建てられた。座主坊を大興山五智輪院弥勒寺と号し,《筥崎宮旧記》によれば社坊10ヵ寺,社家70余人。いずれも座主坊支配で,近世には仁和寺末であった。大宮司は延喜年中に秦姓を賜り遠範が始祖。社家には大神,安部,藤原,大中臣等があった。1051年(永承6)石清水(いわしみず)八幡別当が筥崎宮大検校職に補任され,その末社のようになり,1185年(文治1)石清水別宮となった。所領は筑前,筑後,肥前,肥後,大隅に散在していたが,徐々に衰え,1592年(文禄1)には豊臣秀吉が1000石を寄進している。社殿は縁起によると新羅国に向かい,神宮寺を建立したとあり,1071年(延久3)には檜皮葺き社殿1宇,1276年(建治2)には諸社殿と弥勒寺堂宇の存在がうかがわれ,室町時代の《筥崎八幡宮縁起》には境内図がある。蒙古襲来の文永の役(1274)のときをはじめとし,1280年(弘安3),1434年(永享6),92年(明応1)に焼亡再建し,現本殿(流破風造)と拝殿は1546年(天文15)大内義隆,楼門は1594年小早川隆景の建立。祭礼は《箱崎宮旧記抜書》には〈年七十余〉とあるが,現在は年間26回。重要祭事には1月の玉取祭(玉せせり),2月初卯祭,5月騎射祭,9月放生会,12月御降誕祭,御胞衣祭等がある。宝物には,亀山上皇の筆による(社伝では醍醐天皇宸筆とする)〈敵国降伏〉宸翰37葉,孝明天皇綸旨,《筥崎八幡宮縁起》(2点),筥崎宮神幸図,刀剣,鎧,古文書,大内義隆和歌懐紙,豊臣秀吉の和歌短冊などがある。
執筆者:中野 幡能
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福岡市東区箱崎町に鎮座。祭神は応神(おうじん)天皇、神功(じんぐう)皇后、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀(まつ)る。旧官幣大社。『延喜式(えんぎしき)』神名帳(しんめいちょう)に「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)筥崎宮」とあり、名神(みょうじん)大社に列す。境内近くの博多(はかた)湾沿岸一帯にある松林「千代ノ松原」は、古くより本社の神木と伝えられており、応神天皇誕生のとき胞衣(えな)を箱に入れてこの地に埋め「しるしの松」を植えたという伝説に基づいて地名・社名がつけられたと伝える。759年(天平宝字3)八幡神の神託を受け「しるしの松」の下に社殿が造営されたという。また別の同宮縁起(えんぎ)によると、921年(延喜21)宇佐(うさ)八幡宮を勧請(かんじょう)し鎮座したと伝える。平安期以降は八幡信仰の発展に伴って、九州の著名な大社となり、とくに鎌倉時代蒙古(もうこ)襲来の国難に際しては、敵国降伏(ごうぶく)の神として朝野の尊崇を集めた。この外寇(がいこう)によって社殿を焼失したため1275年(建治1)社殿を再建して正遷宮を行い、亀山(かめやま)上皇は「敵国降伏」の四字を紺紙(こんし)に金泥(きんでい)で謹書して奉納した。現在も神宝として伝存している。西海(さいかい)防護のため社殿は西方を向き、博多湾に臨み玄界灘(げんかいなだ)に面している。本殿・拝殿は1546年(天文15)、楼門は1594年(文禄3)の再建で、国の重要文化財に指定されている。例祭は9月12~18日(隔年に神幸祭あり)。正月3日の玉取祭(玉せせり)は有名。
[岡田荘司]
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「延喜式」では八幡大菩薩筥崎宮。福岡市東区箱崎に鎮座。式内社・筑前国一宮。旧官幣大社。祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫(たまよりひめ)命。921年(延喜21)託宣により少弐(しょうに)藤原真材らが穂波郡大分(だいぶ)八幡宮を分祀し,923年(延長元)造立と伝える。一時,大宰府の管理下におかれたが,1264年(文永元)石清水八幡宮別宮となった。例祭は9月15日。9月12~18日の放生会は「ほうじょうや」とよばれて賑わう。本殿・拝殿・楼門は重文。ほかに古文書などを所蔵。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…11世紀ごろからは宋商人が国内荘園の港津に入港して,荘園領主や荘官と貿易を行ったが,とくに北部九州沿岸の荘園ではこれが顕著で,博多には多くの宋商人が居住して大唐街という中国人街を形成した。1151年(仁平1)には大宰府が筥崎(はこざき),博多の大追捕(だいついぶ)を行い,宋人王昇後家をはじめ1600家の資財物を運びとり,筥崎宮に乱入して正体,神宝物を押し取るという事件がおこった。鎌倉初期には,筥崎宮領の中に宋人御皆免田26町があり,宋人たちは筥崎宮に唐鞍,唐絹などの唐物を上納していた。…
※「筥崎宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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