以酊庵跡
いていあんあと
日吉の奥の後山麓にあった臨済宗寺院。瞎驢山と号した。天正年間(一五七三―九二)の創立で、対朝鮮外交僧として高名な景轍玄蘇が開山。はじめ天道茂の扇原にあったが、寛文五年(一六六五)金石にあった対馬国分寺が日吉に移転、さらに天和三年(一六八三)以酊庵と寺地を振替えたもの。寺号は玄蘇の生年(天文六年丁酉)に由来するという。筑前博多聖福寺一〇世の玄蘇は天正八年宗義智の請により来島、当庵を足場に外交書契の主管にあたった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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