中国古代,殷の時代に行われた占い。亀の腹甲や獣の骨を火にあぶり,その裂け目(いわゆる亀裂)によって,軍事,祭祀,狩猟といった国家の大事を占った。その占いのことばを亀甲獣骨に刻んだものが卜辞,すなわち甲骨文字であり,卜という文字もその裂け目の象形である。亀卜は数ある占いのなかでも最も神聖で権威があったが,次の周代になると,筮(ぜい)(易占)に取って代わられ,しだいに衰えていった。
→易
執筆者:三浦 国雄
亀卜の風習は日本にも伝えられ,神奈川県三浦市の間口洞穴からはすでに5世紀のものと推定される遺物が出土している。日本古来の卜は太占(ふとまに)と称される鹿卜(ろくぼく)であったが,やがて亀卜(きぼく)/(かめのうら)が盛んとなって,奈良時代には公の行事となり,神祇官の卜部(うらべ)がこれを執業した。《延喜式》には伊豆,壱岐,対馬の3国から計20人の卜部を徴したとあり,平安時代には重大事に際しては亀卜が用いられていた。のちに卜部氏の吉田家の専業となり,鎌倉時代以降は衰えた。亀卜は鹿島神宮や宇佐神宮のほか,伊豆八丈島や壱岐,対馬でも行われ,《譚海》(1795)には〈対馬には,古の亀卜の法を伝へたる家二軒あり。社人にて世々子孫是をつたへ神秘としてほかにもらさず,其亀卜の事功験ありて,比類なき事なり〉とある。また《八丈実記》によると,明治半ばまでは八丈島の中之郷,樫立の両村に1軒ずつ卜部があって正月毎に亀卜を行った。
→卜骨(ぼっこつ)
執筆者:村下 重夫
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カメ(亀)の甲を焼いて、現れた割れ目をみて吉凶を占うのをいう。わが国では、古くからシカの肩骨を焼いて占う太占(ふとまに)の法が行われていたが、中国から亀卜の占法が伝えられ、対馬(つしま)、壱岐(いき)、伊豆などで行われるようになった。宮廷では神祇官(じんぎかん)の卜部(うらべ)がこれに携わっていた。亀甲(きっこう)を焼くには波々迦(ははか)の木を用いたとあり、これを行う者は卜庭神(うらにわのかみ)を迎えて卜問(うらど)いするので、その前に7日間の斎忌(さいき)に服さねばならなかった。亀甲は海に浮かんできたものを用いたとある。その方法は伴信友(ばんのぶとも)の『正卜考(せいぼくこう)』に詳記されている。
[大藤時彦]
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…【植島 啓司】
【中国】
中国では,竜山文化期(前2100年ごろ)にすでに占いがなされていたことが近年の出土資料によって判明している。この亀甲や獣骨のひび割れによって神意をうかがういわゆる亀卜(きぼく)は,殷代になるとさかんに行われたが,次の周代には筮竹(ぜいちく)による占いが台頭してくる。亀卜はその後も用いられたが,占いの本流は筮に移行してゆく。…
…大化前代の6世紀ごろより宮廷の祭祀に参与して,中臣(なかとみ)氏に率いられ,鹿卜や亀卜の事をつかさどってきた氏族。律令制下の三国の卜部とは,伊豆,壱岐,対馬の卜部をいうが,そのほかに重要な本拠地は常陸にあった。…
…亀のもつ霊力はさまざまな面に現れるが,その第1は未来を予知する能力があるとされることである。その予知能力は同じく占いの道具である筮竹(ぜいちく)に勝るとされ,両者の卜占(ぼくせん)の結果が異なったときには亀卜の予兆のほうを取るべきだとされた。殷代に盛んに亀卜が行われたことは,殷墟出土の多量の遺物からも知られ,また周王朝においても先王からの宝亀が伝えられ,政治的な事件や危機の際に亀卜が行われたことが《尚書》や《詩経》に記されている。…
…獣骨を用いる占いを骨卜といい,その骨を卜骨とよぶ。亀の甲を用いるときは亀卜といい,その甲は卜甲である。羊,ヤギなど家畜の骨の形や色などで占う法は,西アジア,北アフリカ,ヨーロッパにおいて,また,羊,鹿などの骨を火で熱してひびの入り方で占う法は,東ヨーロッパ,北・中央アジア,北アメリカでそれぞれ古記録に記され,民族例としても知られている。…
※「亀卜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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