伊勢平治村(読み)いせへいじむら

日本歴史地名大系 「伊勢平治村」の解説

伊勢平治村
いせへいじむら

[現在地名]川西町伊勢平治

沖立おきだて村の北、西は高原田たかはらだ村。友重ともしげ村・高原田村とは地所が入交じり、境は不分明。天保郷帳では伊勢平氏村。正保国絵図に高九二石余とみえる。天和三年郷帳では高一二六石二斗余。元禄七年(一六九四)の妻有組村名書上帳(福原氏蔵)によると、枝村古屋敷ふるやしき村のほか、明暦二年(一六五六)開発の古新田分と同三年の後起分とがある。「白川風土記」によると、用水中屋敷なかやしき村・坪山つぼやま村・霜条しもじよう村・上野うえの村・鶴吉つるよし村各村の流末を利用する。鎮守の神明宮が西方にある。高原田村の社家が勤める。神宝に寿永(一一八二―八五)の頃、平家の落人が持ち来った建礼門院が白粉を溶いたという盒があったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む