伊古村(読み)いこむら

日本歴史地名大系 「伊古村」の解説

伊古村
いこむら

[現在地名]瑞穂町西郷さいごう 上伊古かみいこ下伊古しもいこ

西郷村の北西部に位置し、北は海に臨む。伊福いふく村境を西郷川が流れるが、河口部近くの右岸側に古代条里遺構があり、地割はN三七度Wの方位東西に六坪ほど、南北に四坪ほどが確認されている。この川の西岸に数詞坪地名とみられるいちつぼがあるので、伊古条里はこの一帯まで施行されていたと考えられる。古代よりみえ高来たかく郡の地名で、応和三年(九六三)二月一二日の肥前国国符(宇佐大鏡)に「伊福 大河 伊古 御墓野」とあり、豊前宇佐宮の牢籠なき神領の一つであった。保安三年(一一二二)の宇佐宮領高来郡油山十二箇所立券文(同書)では野上山のうちに「伊古崎」とみえ、五丁余が油山であった。当地など四ヵ所は、文治二年(一一八六)先祖相伝の所領として綾部幸房がその四男の幸明に譲与している(同年四月二九日「綾部幸房譲状」大川文書)。当地には綾部氏庶流が居を構えたものか、伊古を名乗る者が現れ、正慶元年(一三三二)には伊古六郎二郎が所従をめぐって大河幸蓮に訴えられ、召喚されている(元徳四年七月二日「鎮西御教書」同文書)。応安七年(一三七四)九州探題の今川了俊が高来郡方面に派遣した子息満範の率いる軍勢が六月一五日「伊古西郷城」から永野ながの(現諫早市)攻撃のため進軍している(同年六月日「深堀時広軍忠状」深堀文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報