伊場村(読み)いばむら

日本歴史地名大系 「伊場村」の解説

伊場村
いばむら

[現在地名]浜松市西伊場町(にしいばちよう)・南伊場町(みなみいばちよう)・東伊場(ひがしいば)一―二丁目・菅原町(すがわらちよう)・森田町(もりたちよう)・佐鳴台(さなるだい)一丁目・同四丁目など

東鴨江(ひがしかもえ)村の西、三方原台地の南端下に位置。西は入野(いりの)村、南は東若林(ひがしわかばやし)村。東海道が通る。中世には岡部(おかべ)郷が成立し、近世初頭には伊場岡辺(いばおかべ)村(伊場岡部村)と称されたほか、単に岡部村ともみえる。また永禄一二年(一五六九)二月一九日の徳川家康判物写(「古文書集」所収川口七郎右衛門家蔵文書)にみえる「因幡郷」は伊場村の前身とも推定され、徳川家康は同郷など都合一千貫文余を本知行地として松下筑後入道に安堵している。

天正一八年(一五九〇)一二月二八日、豊臣秀吉が岡部大日領三八石などを鴨江寺に寄進している(「豊臣秀吉寄進状」鴨江寺文書)。慶長八年(一六〇三)には徳川家康が同寺に岡部村のうち三八石を寄進した(「徳川家康寄進状」同文書)。松平忠頼領郷村帳には伊場岡辺村とみえ高八八八石余、田七〇町・畑八町九反余、うち「大道ニ成」分として一〇石余、ほかに加茂大明神(現賀茂神社)領四石余・明神領二石余・八面(はちめん)(八面荒神社)領三石・瑞昌(ずいしよう)庵(現曹洞宗瑞生寺)領二石余・大日(大日堂)領五石・見海(けんかい)寺(現曹洞宗見海院)領二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報