伊奈忠宥(読み)いな ただおき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊奈忠宥」の解説

伊奈忠宥 いな-ただおき

1729-1772 江戸時代中期の武士
享保(きょうほう)14年生まれ。伊奈忠逵(ただみち)の次男。関東郡代。宝暦4年(1754)兄で養父の伊奈忠辰(ただとき)の跡をつぐ。13年勘定吟味役をかねた。明和元年から2年にわたる本庄熊谷(埼玉県)を起点とする武蔵(むさし)北部の大一揆(いっき)(伝馬騒動)を鎮静,その功により勘定奉行兼務となった。明和9年8月25日死去。44歳。通称は半左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊奈忠宥の言及

【関東郡代】より

…江戸幕府の地方行政官の職名。代官頭伊奈忠次の系譜を引く伊奈氏が世襲で郡代職を継いだが,江戸後期に勘定奉行の兼任後,一時,廃止されたが再置,幕末に関東在方掛と改称された。徳川氏の関東入国後,代官頭伊奈忠次が100万石を支配したが,その子忠政の弟忠治が引き続き地方(じかた)支配した。1642年(寛永19)に幕府は忠治に対し関東代官の統轄と河川の改修,築堤の専管を命じ,これによって関東郡代が事実上成立した。…

【伝馬騒動】より

…1764‐65年(明和1‐2)武蔵国を中心に起きた助郷(すけごう)役増徴反対の百姓一揆。64年8月,江戸幕府は中山道の伝馬助郷役不足の解決と,翌年にせまった日光東照宮百五十回忌の交通量増大に対処するため,増助郷(ましすけごう)課役の方針をうちだし,板橋宿から和田宿までの武蔵,上野,信濃28宿の村々に高100石につき人足6人,馬3疋の増助郷を命じ,人馬役負担の困難な村には代金として高100石につき金6両2分を提出させようとした。…

※「伊奈忠宥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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