伊敷索グスク
いしきなわぐすく
嘉手苅集落の北西にあって、久米島の中央部を流れる白瀬川河口付近に位置する連郭式グスク。伊敷索城跡の名称で県指定史跡。伊敷索按司の居城と伝えられる。標高約四五メートルの石灰岩崖上に形成され、正面の南東方面は緩傾斜であるが、そのほかは険阻な絶壁で囲まれている。グスクの全体形は北―南方向へ長い長方形を呈する。内部は高さ二メートルの石垣で区画され、北西側が主郭、南東側が二の郭である。二の郭には野面積みによる城門跡がある。城壁はサンゴ石灰岩を野面積みに積んでおり、正面石垣の高さは二メートル。「琉球国由来記」によると伊敷索按司には四人の子息があり、それぞれが兼城村の屋敷・宇江城・具志川城・登武那覇城に拠ってそれぞれの地を統治していたが、尚真王(在位一四七七―一五二六)による久米島征伐により滅ぼされたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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