朝日日本歴史人物事典 「伊福吉部徳足比売」の解説
伊福吉部徳足比売
生年:生年不詳
7世紀後半から8世紀にかけての地方豪族の女性。因幡国法美郡(鳥取県東部)の郡司の娘。采女として墓誌文武天皇の宮廷に出仕していたらしく,慶雲4(707)年従七位下に叙せられる。翌年没したが和銅3(710)年10月火葬され,故郷(鳥取県岩見郡国府町宮下)に埋葬。安永3(1774)年,墓誌が刻まれた銅製の蔵骨器が発掘され有名になった。その後,銅器は改葬,再発掘を経て国の重要文化財として東京国立博物館蔵。延暦3(784)年作成の『因幡国伊福部臣古志』に徳足比売の名はみえないが,第27代国足臣は兄弟か。<参考文献>佐伯有清「伊福部臣氏の系図」(『古代氏族の系図』)
(児島恭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報