遺骸を火葬または洗骨したのち,骨灰や副葬品を納めた容器で骨蔵器ともいう。火葬は新石器時代に始まるが,蔵骨器の使用は初期金属器文化に顕著に現れる。インダス川流域のゾブ文化(前2000ころ)のケルン中の蔵骨壺,中部ヨーロッパのラウジッツ文化(前1300-前700)や西ヨーロッパのハルシュタット文化(前1200-前800)の人面装飾付きの特殊壺や家屋形の蔵骨器があり,ローマ時代の大理石や青銅製蔵骨器はよく知られている。また中央アジアのゾロアスター教徒は鳥葬した骨を家形容器に納めた。インドのストゥーパ(塔)に奉安された舎利容器は仏陀の骨灰を入れたもので,蔵骨器の一種である。仏教が中国に伝わると主として僧侶間に火葬が行われ,石棺式の蔵骨器に入れて墓塔を建てた。日本では火葬地をそのまま墓にした火化墳が6,7世紀に現れるが蔵骨器は伴わない。7世紀末から8世紀にかけて官人・貴族間に火葬が広まり,土師器,須恵器,緑釉・灰釉・三彩などの施釉陶,金銅,ガラス製などの蔵骨器が用いられた。直接土中に埋置することもあるが,木櫃や石櫃に入れ,小石室や墳丘を伴う場合もある。金銅製蔵骨器には身や蓋に墓誌銘を刻んだものがある。平安時代以降も中国製磁器や日常容器を利用した蔵骨器がある。なお洗骨に伴うものとして東日本の弥生時代に壺形土器を用いた再葬墓があり,民俗例では沖縄の洗骨用の厨子甕(ずしがめ)がある。
執筆者:佐藤 興治
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遺骨を納める容器であるが、一般的には火葬骨を納める容器をさす。骨蔵器、骨壺(こつつぼ)とも称されている。火葬の風習は仏教文化とともに伝播(でんぱ)したと考えられるが、蔵骨器を使用し広く普及するのは奈良時代からである。『万葉集』の歌などから7世紀中ごろには火葬が始まっていたと想定されているが、『続日本紀(しょくにほんぎ)』によれば700年(文武天皇4)の僧道昭(どうしょう)の火葬が最初とされる。火葬墓に伴う紀年銘のある最古の墓誌は、「慶雲(けいうん)四年」(707)の文忌寸禰麻呂(ふみのいみきねまろ)のもので、ガラス壺蔵骨器と金銅(こんどう)壺の外容器が出土している。蔵骨器の材質としては、須恵器(すえき)、土師器(はじき)が多いが、三彩・緑釉陶(りょくゆうとう)のものもある。石製や金属製、ガラス製、木製のものもみられる。奈良時代初期には威奈真人(いなのまひと)大村の金銅製球形合子(ごうす)形や、下道朝臣圀勝(しもつみちのあそんくにかつ)・圀依(くにより)母夫人の青銅製有蓋鉢形(ゆうがいはちがた)のように刻銘があり、明らかに蔵骨器としてつくられたものもあるが、一般には壺や甕(かめ)などの日常容器が転用使用されている。
[松下正司]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…分布は畿内と岡山県とに集中しており,形態的にも地域差が認められる。横穴式石室や横穴内で伸展葬に用いられたが,年代の新しい小型品は蔵骨器としても利用された。同時代の家形石棺と比べれば,一般に,より低い階層に用いられたと考えられるが,奈良県斑鳩(いかるが)町竜田御坊山3号墳の須恵質四注屋根形陶棺のごとく,内・外面に黒漆が塗布され,琥珀(こはく)製枕,三彩円面硯(すずり),筆管かと思われるガラス製品など,当時としては希少な副葬品とともに,刳抜横口式石槨に収められた特殊な例も存在する。…
…弥生時代中期の東日本には,洗骨後,骨を壺に入れて土壙に葬る再葬墓がみられるが,一次的,地域的なもので,日本に本来死体崇拝や遺骨崇拝はなかったから,納骨の風は仏教の影響とすることができる。その初期においては特定の霊場に納めたのではなく,なにかゆかりのある山に納めたもので,最古の納骨器は京都市西京区大枝塚原町山林から出た慶雲2年(705)の墓誌銅版を伴う青銅製蓋付桶型蔵骨器である。このような蔵骨器,骨壺は奈良時代のものが多数発見されており,青銅製のほかに陶製,銀製,ガラス製,石製,木製などがある。…
※「蔵骨器」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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