日本歴史地名大系 「伊豆国分寺跡」の解説 伊豆国分寺跡いずこくぶんじあと 静岡県:三島市三島町蓮行寺町伊豆国分寺跡[現在地名]三島市泉町旧東海道(主要地方道沼津―三島線)北側の伊豆国分寺近辺に伽藍配置が想定されている。「延喜式」主税寮の伊豆国正税に「国分寺料一万束、(中略)国分二寺供養料一万束」、玄蕃寮に「伊豆国山興寺、(中略)並各為国分寺、置僧十口」とあり、山興寺が代用国分寺となったとみえるので、焼亡していたと考えられる。弘長元年(一二六一)六月六日の得宗家公文所奉書(三嶋大社文書)に「三嶋宮経所国分寺」とみえ、当寺の供僧らは国司が当寺に寄進した安居上分麦を北条(ほうじよう)(現韮山町)の公文所が関東御免にかこつけて下行しないことを訴え、北条得宗家公文所は訴えどおり下行を命じている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by