伊豆山山腹に立地し、社殿は海浜の
鎌倉に入った頼朝は治承四年一〇月一一日、走湯山住侶良暹を鎌倉に招き、翌養和元年(一一八一)一〇月六日には同禅睿を鎌倉鶴岡若宮(鶴岡八幡宮)の長日大般若経供僧に補任した(吾妻鏡)。同年八月二九日、頼朝は伊豆山などに大般若経を転読させている(同書)。寿永二年(一一八三)七月二五日、相模国「長墓郷」が走湯山上常行堂に寄進される(某寄進状写「走湯古文一覧」伊豆山神社蔵)。頼朝は文治元年(一一八五)九月二五日以前に
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静岡県熱海市伊豆山に鎮座。火牟須比(ほむすび)命・伊邪那岐(いざなき)命・伊邪那美(いざなみ)命を伊豆山神としてまつる。社伝によると,古くは日金山(十国峠)の頂にまつられたのが,後に,現在の場所に移されたものという。《延喜式》に見える〈火牟須比命神社〉が,当社のことと思われるが,温泉の霊験をまつったものといえる。中世以降は,伊豆山権現とも走湯山(そうとうさん)権現とも呼ばれた。また箱根神社とともに二所権現と称され,源頼朝の篤い崇敬が寄せられた。以後鎌倉時代を通じ歴代将軍の二所詣が行われた。大祭は4月15日。神幸には3基の神輿が浜宮まで渡御し,本社および浜宮では神女舞が奉納される。11月10日には温泉を感謝する献湯祭が行われる。宝物としては,後奈良天皇宸筆の般若心経,古剣,経塚出土品,伊豆山記,走湯山記,奉納和歌帖,古文書等がある。旧国幣小社。
→走湯山
執筆者:落合 偉洲
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静岡県熱海(あたみ)市伊豆山に鎮座。火牟須比命(ほむすびのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)を、伊豆山神として祀(まつ)っている。孝昭(こうしょう)天皇の代に日金(ひがね)山(十国(じっこく)峠)に創祀(そうし)され、のちに現在地に遷座したと伝えられている。『延喜式(えんぎしき)』にみえる火牟須比命神社が当社であるといわれているが、中世以降は伊豆山権現(ごんげん)、走湯(そうとう)山権現といわれた。また源頼朝(よりとも)が深い崇敬を寄せて以来、箱根権現(箱根神社)とともに二所権現ともいわれ、鎌倉、室町幕府に厚遇された。もとは「走湯(はしりゆ)」といわれる、豊かな湯量をつかさどる神として信仰されたとみられる。1873年(明治6)に県社、1928年(昭和3)に国幣小社となった。例祭は4月15日。宝物として、国の重要文化財の『般若心経(はんにゃしんぎょう)』(後奈良(ごなら)天皇宸筆(しんぴつ))、古剣1口ほか、経塚出土品などがある。
[落合偉洲]
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…松,杉,ヒノキなどの常緑樹が一般的だが,神社によって特定の神木がある。有名なものに,京都の伏見稲荷大社や奈良の大神神社の験(しるし)の杉,福岡の香椎宮の綾杉,太宰府天満宮の梅,北野天満宮の一夜松(ひとよまつ),滋賀の日吉大社の桂,熊野大社,伊豆山神社の梛(なぎ),新潟の弥彦神社の椎などがある。奈良春日大社の神木(榊に神鏡を斎(いわ)いつけたもの)は中世に何度か興福寺の衆徒が春日大明神の御正体と称して担ぎ出し,朝廷に強訴(ごうそ)する手段とされた。…
…静岡県熱海市伊豆山に鎮座する伊豆山神社の古名に由来する名称で,伊豆山神社は伊豆山権現,走湯権現,略して走湯山ともいった。真言宗般若院は同社の別当寺である。…
※「伊豆山神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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