伊達公子(読み)だてきみこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊達公子」の意味・わかりやすい解説

伊達公子
だてきみこ
(1970― )

プロテニス選手。京都府生まれ。1988年(昭和63)園田学園高校3年のとき、インターハイシングルスダブルス、団体の三冠王。1989年(平成1)同校卒業後プロデビュー。1990年全豪オープンに初出場し、日本人として13年ぶりにベスト16まで進出。同年全日本室内選手権で初優勝。1991年バージニアスリムズ・ロサンゼルス大会で当時世界ランキング3位のサバチーニを破って準優勝。同年全日本選手権初優勝。1992年ジャパンオープンでツアー初優勝。1993年ジャパンオープン2連覇。1994年NSWオープンで海外ツアー初優勝を飾った。同年ジャパンオープン3連覇。1995年ウィンブルドン全英選手権で日本女子初のベスト8に進出。日本選手史上最高の世界ランキング4位となった。1996年フェドカップで世界ランキング1位のグラフを破ったが、続くウィンブルドンでは準決勝で、そのグラフとの2日がかりの熱戦の末、惜敗した。同年オリンピック・アトランタ大会ではベスト8。同年9月現役引退表明。11月最終戦のWTAツアー選手権で引退セレモニーが行われた。引退時の世界ランキングは9位。2001年ドイツ人レーシングドライバーのM・クルムと結婚。2008年4月選手登録名をクルム伊達公子とし、現役復帰。同年11月の全日本選手権に優勝した。1989年日本プロテニス協会新人賞、1993年報知プロスポーツ大賞、1994年東京都文化賞、1996年度朝日スポーツ賞などを受賞

[編集部]

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百科事典マイペディア 「伊達公子」の意味・わかりやすい解説

伊達公子【だてきみこ】

テニス選手。京都市生れ。園田学園高校在学時に全日本ジュニア(16歳以下の部)優勝。1989年高校卒業後,プロに転向。1990年の全豪オープンで日本人として13年ぶりにベスト16入りを果たし注目を浴びる。1991年にはバージニアスリムズ・ロサンゼルス大会においてガブリエラ・サバティーニを破り,準優勝。1994年NSWオープン(オーストラリア)において世界ランク7位のメアリー・ジョー・フェルナンデスを破り,海外初優勝。1996年にはフェド・カップ(デビス・カップ参照)対ドイツ戦でシュテフィ・グラフを初めて破ったほか,ウィンブルドン・テニス大会でもグラフと日没順延となるほどの大接戦を演じ,世界的に知られた。同年引退(引退時の世界ランキングは9位)。2001年ドイツ人レーシングドライバーのM.クルムと結婚。2008年4月,〈クルム伊達公子〉とし選手名を登録,テニスプレーヤーとして復帰することを発表し,同年11月の全日本選手権でシングルス・ダブルスを制覇した。その後も世界ツアーに参戦しツアー最年長選手として活躍している。WTA最高ランク4位。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊達公子」の解説

伊達公子 だて-きみこ

1970- 昭和後期-平成時代のテニス選手。
昭和45年9月28日生まれ。園田学園高で活躍し,平成元年卒業と同時にプロ転向。4年ジャパンオープンで初優勝し,以後3回優勝。6年全豪オープンでベスト4。7年全仏オープンでベスト4,世界ランキング4位。8年ウィンブルドンでベスト4。同年フェドカップで全盛期のグラフをやぶるなど数々の記録をのこし,引退。13年レーシング・ドライバーのミハエル・クルムと結婚。20年現役復帰,同年全日本テニス選手権で単・複で優勝した。京都出身。本名はクルム伊達公子。

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367日誕生日大事典 「伊達公子」の解説

伊達 公子 (だて きみこ)

生年月日:1970年9月28日
平成時代のテニス選手

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