デジタル大辞泉 「伊達正男」の意味・読み・例文・類語 だて‐まさお〔‐まさを〕【伊達正男】 [1911~1992]野球選手・指導者。大阪の生まれ。早大では捕手兼投手として投打に活躍。卒業後は社会人野球チームの全大阪に入り、都市対抗野球でチームを優勝に導く。戦後、同球団の選手兼任監督。阪急ブレーブス(オリックスの前身)のピッチングコーチも務めた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「伊達正男」の解説 伊達 正男ダテ マサオ 昭和期の社会人野球監督 生年明治44(1911)年2月25日 没年平成4(1992)年8月30日 出身地大阪市 学歴〔年〕早稲田大学商学部〔昭和8年〕卒 経歴市岡中学時代捕手、投手。大正13、14年選抜大会、14、15年夏の甲子園大会に出場。東京六大学リーグでも投手兼捕手をつとめ、首位打者も獲得。昭和6年秋には来日した全米チームと対戦、球史に残る投球をした。その後も選抜出場チームの選考委員、選抜大会、甲子園大会の審判等歴任。戦後は監督兼投手としてオール大阪で都市対抗野球出場。30〜34年阪急ブレーブスコーチを経て、野球殿堂特別表彰委員。平成元年自ら殿堂入りした。著書に「私の昭和野球史」。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊達正男」の解説 伊達正男 だて-まさお 1911-1992 昭和時代の野球選手。明治44年2月25日生まれ。早大に入学した昭和3年春,4割6分9厘で初の新人首位打者。捕手から投手に転じ,6年春の早慶戦で3連投の剛腕で注目される。9年の都市対抗でオール大阪のエースとして4試合完投し,優勝。戦後,アマチュア野球界の発展につくした。平成元年野球殿堂入り。平成4年8月30日死去。81歳。大阪出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by