伊達源一郎(読み)ダテ ゲンイチロウ

20世紀日本人名事典 「伊達源一郎」の解説

伊達 源一郎
ダテ ゲンイチロウ

明治〜昭和期の新聞記者,政治家,鳥類研究家 「ジャパンタイムス」社長;参院議員(緑風会)。



生年
明治7年3月15日(1874年)

没年
昭和36(1961)年7月15日

出生地
島根県能義郡井尻村(現・伯太町)

別名
号=樸堂

学歴〔年〕
同志社本科政治科〔明治32年〕卒

主な受賞名〔年〕
松江市名誉市民〔昭和33年〕

経歴
明治32年に卒業ののち一時愛媛県下の小学校で英語を教えた。33年「国民新聞」に入社、外報部に配属され、45年に編集局長となる。大正4年に国際通信社報道部長。次いで7年「読売新聞」に転じて主筆に就任し、日本全権随員としてパリ平和会議取材した。帰国ののち外務省嘱託となり、省内に情報部を創設。9年には中国関係情報を専門とした東方通信社を設立。さらに同社を国際通信社と合併させ、15年に日本新聞連合を発足させた。その後、昭和6年に国民新聞社長、7年にジャパンタイムス社長を歴任戦後、20年に帰郷して島根新聞社長となり、28年まで在任した。その間、22年島根県から参院議員に当選し、緑風会に所属。国会では内閣委員長や外務委員として活躍。26年には吉田茂首相の要請により、サンフランシスコ講和会議の全権委員代理として外国新聞対策に当たった。他方、鳥類の研究家としても一家を成し、その収集にかかる1600点以上の鳥類標本は島根県立博物館に伊達コレクションとして所蔵されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊達源一郎」の解説

伊達源一郎 だて-げんいちろう

1874-1961 明治-昭和時代の新聞人,政治家。
明治7年3月15日生まれ。国民新聞編集局長をへて大正7年読売新聞主筆となり,パリ平和会議を取材。その後国民新聞,ジャパンタイムスなどの社長を歴任。昭和22年参議院議員(緑風会)。鳥類研究家でもあった。昭和36年7月15日死去。87歳。島根県出身。同志社卒。号は樸堂。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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