会津本郷町(読み)あいづほんごうまち

日本歴史地名大系 「会津本郷町」の解説

会津本郷町
あいづほんごうまち

面積:四〇・一四平方キロ(境界未定)

会津盆地南縁部にあり、町域北部は平坦な田園地帯だが、南部は標高四〇〇―八〇〇メートルの山地となる。町域東端を阿賀川が北流し、対岸会津若松市。北は北会津郡北会津村、西は会津高田あいづたかだ町、南はわずかに南会津郡下郷しもごう町に接している。南北に旧下野街道が縦貫し、町域北部を東西に会津若松市と会津高田町を結ぶ道が通る。永禄年間(一五五八―七〇)蘆名盛氏が自らの隠居城として弁天べんてん(岩崎山)向羽黒山むかいはぐろやま城を築き、本郷はその城下集落として繁栄した。近世に入り保科氏入部後、領内産業育成のため本郷で焼物が始められ、以後近世を通じて焼物の里として知られ、近代以降も電気用碍子生産などを加えて発展した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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