佃村(読み)つくだむら

日本歴史地名大系 「佃村」の解説

佃村
つくだむら

[現在地名]西淀川区佃一―七丁目など

神崎川を挟んで御幣島みてじま村の西にあり、北西は元和五年(一六一九)開削の同川分流左門殿さもんど川で摂津国川辺かわべ郡と境する。中世には住吉社(現住吉区)大和田おおわだ庄に含まれたという(住吉松葉大記)。また歌枕などで知られる田蓑島たみののしま(大阪市の→難波を当地とする説もある(大阪府全志)

開発者一七軒が協力して藪地を開いたとの伝承をもち、これらの家を藪床といった(西成郡史)。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図には「ツク田」とみえ、隣接して記される御幣島村の高一千一一一石余に含まれると考えられる。

佃村
つくだむら

[現在地名]綾部市佃町

上林かんばやし下流域、両岸段丘に位置する。上流はただ村、下流は武吉たけよし村に続き、北はなか山を隔てて十倉とくら村、南は稲葉いなば嶺を越えて船井郡下粟野しもあわの(現和知町)

中世は上林庄の地。永禄五年(一五六二)の赤井時家折紙(阪根家文書)に、「上林庄下村之内久元番同佃分」とある「佃分」が、のちの佃村に相当する地と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報