佐伯米子(読み)サエキ ヨネコ

20世紀日本人名事典 「佐伯米子」の解説

佐伯 米子
サエキ ヨネコ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治36(1903)年7月7日

没年
昭和47(1972)年11月13日

出生地
東京・銀座

旧姓(旧名)
池田

学歴〔年〕
東京女学館卒

主な受賞名〔年〕
二科展文部大臣奨励賞(第21回)〔昭和42年〕

経歴
川合玉堂に日本画を学ぶ。大正9年東京美術学校生の佐伯祐三と結婚、12年祐三卒業と同時にパリ留学、二人でブラマンク師事、14年サロン・ドートンヌに「アルル跳ね橋」が入選。15年帰国、同年の第13回二科展に5点が入選。昭和2年夫とともに再渡欧、3年夫と長女死去傷心の帰国。15年まで二科展に出品を続けた。戦後二紀会同人となり24年理事。作品には「かのこゆり」「海辺の室内プール」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐伯米子」の解説

佐伯米子 さえき-よねこ

1897-1972 大正-昭和時代の洋画家。
明治30年7月7日生まれ。大正10年佐伯祐三と結婚。夫とともにフランスにわたり,ブラマンクに師事。「アルルの跳ね橋」がサロン-ドートンヌに入選。15年帰国し,二科展に出品。昭和21年女流画家協会を創立,24年から二紀会理事。昭和47年11月13日死去。75歳。東京出身。東京女学館卒。旧姓は池田。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐伯米子」の解説

佐伯 米子 (さえき よねこ)

生年月日:1897年7月7日
大正時代;昭和時代の洋画家
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐伯米子の言及

【佐伯祐三】より

…洋画家。大阪市東淀川区に生まれ,中学在学中に大阪で赤松麟作(1878‐1953)の赤松洋画研究所に学び,川端画学校を経て,1923年東京美術学校を卒業,前年に結婚した米子(旧姓池田,洋画家。1903‐72)とともに渡仏。ブラマンクについてフォービスムの影響をうけ,またユトリロの抒情的作風をもとりいれて,神経の鋭い激情的な,またメランコリックな情感あふれる筆致で,パリの街景を盛んに描く。25年サロン・ドートンヌに《靴屋》が入選。…

※「佐伯米子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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