朝日日本歴史人物事典 「佐竹作太郎」の解説
佐竹作太郎
生年:嘉永2.3.15(1849.4.7)
明治時代の実業家。山城国(京都府)愛宕郡大原村の庄屋の長男。山梨県の殖産興業を推進した藤村紫朗県令に従って山梨へ。その信任が厚く第十国立銀行の設立時には支配人となり,栗原信近失脚後の明治15(1882)年に2代目頭取に就任し,33年間その職にあった。甲州財閥の東京電燈乗っ取り後は常務として経営に参画し,32年には社長となり,他にも多数の甲州系企業の重役に名を連ねた。この間,35年から連続5期衆院議員に当選し13年在任し山梨県政界の重鎮でもあった。山梨県出身ではないが若尾逸平の片腕として甲州財閥を支える有力な柱となった。
(齋藤康彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報