佐竹作太郎(読み)サタケ サクタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「佐竹作太郎」の解説

佐竹 作太郎
サタケ サクタロウ


肩書
衆院議員(政友会),東京電燈社長

生年月日
嘉永2年3月15日(1849年)

出生地
山城国愛宕郡大原村(京都府)

経歴
明治10年若尾逸平推挙により第十国立銀行に入行、15年頭取に就任。28年若尾の腹心として東京電燈に入り、取締役を経て、32年社長となり、没年まで務めた。この間、発電所の設立、資本集中などに尽力した他、東京電車鉄道、富士身延鉄道などにも要職を占め、いわゆる甲州財閥一員として活躍した。また甲府市議、山梨県議を務め、35年以来衆院議員に当選5回、政友会に所属した。

没年月日
大正4年8月17日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「佐竹作太郎」の解説

佐竹 作太郎
サタケ サクタロウ

明治・大正期の実業家,政治家 東京電燈社長;衆院議員(政友会)。



生年
嘉永2年3月15日(1849年)

没年
大正4(1915)年8月17日

出生地
山城国愛宕郡大原村(京都府)

経歴
明治10年若尾逸平の推挙により第十国立銀行に入行、15年頭取に就任。28年若尾の腹心として東京電燈に入り、取締役を経て、32年社長となり、没年まで務めた。この間、発電所の設立、資本集中などに尽力した他、東京電車鉄道、富士身延鉄道などにも要職を占め、いわゆる甲州財閥の一員として活躍した。また甲府市議、山梨県議を務め、35年以来衆院議員に当選5回、政友会に所属した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「佐竹作太郎」の解説

佐竹作太郎

没年:大正4.8.17(1915)
生年:嘉永2.3.15(1849.4.7)
明治時代の実業家。山城国(京都府)愛宕郡大原村の庄屋長男。山梨県の殖産興業を推進した藤村紫朗県令に従って山梨へ。その信任が厚く第十国立銀行の設立時には支配人となり,栗原信近失脚後の明治15(1882)年に2代目頭取に就任し,33年間その職にあった。甲州財閥の東京電燈乗っ取り後は常務として経営に参画し,32年には社長となり,他にも多数の甲州系企業の重役に名を連ねた。この間,35年から連続5期衆院議員に当選し13年在任し山梨県政界の重鎮でもあった。山梨県出身ではないが若尾逸平の片腕として甲州財閥を支える有力な柱となった。

(齋藤康彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐竹作太郎」の解説

佐竹作太郎 さたけ-さくたろう

1849-1915 明治-大正時代の実業家,政治家。
嘉永(かえい)2年3月15日生まれ。若尾逸平(いっぺい)にみとめられ,第十国立銀行頭取,東京電灯社長を歴任。また東京電車鉄道,山梨新聞社などの役員もかねる。山梨県会議員をへて,明治35年衆議院議員(当選5回,政友会)。大正4年8月17日死去。67歳。山城(京都府)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐竹作太郎」の解説

佐竹 作太郎 (さたけ さくたろう)

生年月日:1849年3月15日
明治時代;大正時代の実業家;政治家。東京電灯社長;衆議院議員
1915年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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