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若尾逸平 わかおいっぺい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

若尾逸平
わかおいっぺい

[生]文政3(1820).12.6. 山梨
[没]1913.9.7. 甲府
いわゆる甲州財閥の先駆者。貧家に生れ,絹糸やたばこの行商をしていたが,のち甲府に出て呉服店を開いた。万延1 (1860) 年開港まもない横浜で,弟の幾造とともに貿易業を始め,生糸の輸出,綿花,砂糖の輸入のほか,外商と甲府産水晶の取引を行なって,富を築いた。

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百科事典マイペディアの解説

若尾逸平【わかおいっぺい】

明治の実業家。甲州財閥の中核をなした若尾財閥の創立者。甲斐の貧家の子。横浜に出て甲州産水晶を外国人に売り,生糸の輸出や投機で富を築いた。また若尾式製糸機を発明して甲府に工場を開き,松方財政下の金融逼迫(ひっぱく)に乗じて全国屈指の大地主となった。
→関連項目雨宮敬次郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

若尾逸平 わかお-いっぺい

1821*-1913 幕末-明治時代の実業家。
文政3年12月6日生まれ。安政6年横浜開港を機に,生糸,綿製品,砂糖などの貿易に従事して財をなした。のち郷里で金融業,土地の集積,株式の取得などをとおして若尾財閥をきずいた。初代甲府市長,貴族院議員。弟に若尾幾造(初代)。大正2年9月7日死去。94歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。号は逸斎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

若尾逸平

没年:大正2.9.7(1913)
生年:文政3.12.6(1821.1.9)
明治時代の甲州財閥の総帥。甲州巨摩郡在家塚村(中巨摩郡白根町)の没落した旧家の次男。父は林右衛門,母はきの。天保年間に一度は江戸に出るがまもなく帰国し,天保12(1841)年ごろから西郡地域の特産物の葉煙草や繰綿の行商に従事する。安政2(1855)年に甲府に転居し,横浜が開港すると弟幾造と共に生糸や水晶の売り込みに成功して巨利を博す。この間,自ら製糸器械を考案して製糸工場を経営する。明治5(1872)年に山梨県の蚕種製造人大総代に,翌年,生糸改会社の副社長に任命され,同県の蚕糸業に君臨した。このため5年の 大小切騒動に際しては焼き打ちを受けた。第十国立銀行の設立には最高額を出資して取締役に選任された。松方デフレ期に土地集積を行い県内随一の巨大地主となり,22年に初代甲府市長に,翌年,貴族院多額納税者議員に当選する。25年の東京馬車鉄道への投資を皮切りに,29年には東京電燈株式会社乗っ取るなど,財力を背景に果敢に中央進出を図り,「株を買うなら将来性のあるもの…それは乗りものとあかりだ」と語ったといわれるように当時の成長産業に着目して積極的な株式投資活動を展開した。横浜を舞台とする生糸貿易や,株式投資による致富にみられるように天性の相場師であった。ためにその死去によって求心力を失った若尾財閥は没落を早める結果となった。<参考文献>内藤文治良『若尾逸平

(齋藤康彦)

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世界大百科事典 第2版の解説

わかおいっぺい【若尾逸平】

1820‐1913(文政3‐大正2)
甲州財閥と称される資本家群の代表的人物。甲斐国(山梨県)に生まれる。江戸で絹糸,タバコなどの行商をしていたが,1860年(万延1),横浜開港を機に形成された生糸市場における投機で財をなし,山梨県の蚕糸業界に勢力を伸ばした。また,若尾式製糸機を発明し,甲府に工場を設けた。紙幣価値が銀貨の半分にも低落した西南戦争後のインフレ期には,紙幣価値の回復を見越して正金銀行から銀貨11万円を借りて20余万円の紙幣と交換し,松方緊縮財政下の金融迫(ひつぱく)に乗じて,全国屈指の大地主となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

若尾逸平
わかおいっぺい
(1820―1913)

幕末・明治期の実業家。甲斐(かい)国(山梨県)出身。農家の次男に生まれる。若くして葉たばこ、真綿などの行商に従事。日本が開国した翌年の1860年(万延1)横浜の貿易取引に進出し、実弟の幾造と生糸や綿花など輸出入商品の投機取引を行って成功した。明治維新後も「相場師」として生糸取引などで巨利を得て、それを横浜正金銀行、東京馬車鉄道、東京電燈、東京瓦斯(ガス)などの株式投資に振り向けて大株主重役となった。また自らも若尾銀行などを設立し、「甲州財閥」(甲州商人)の第一人者として活躍した。貴族院議員や初代甲府市長も務めた。[四宮俊之]
『小泉剛著『甲州財閥』(1975・新人物往来社)』

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世界大百科事典内の若尾逸平の言及

【甲州財閥】より

…明治から昭和の初めにかけて財界に一大勢力を占めた山梨県出身の資本家群に対する俗称。若尾逸平,雨宮敬次郎,根津嘉一郎などがその代表で,郷党意識で結ばれていたことから世人は甲州財閥と呼んだ。財閥本来の意味からいう財閥ではない。…

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