改訂新版 世界大百科事典 「甲州財閥」の意味・わかりやすい解説
甲州財閥 (こうしゅうざいばつ)
明治から昭和の初めにかけて財界に一大勢力を占めた山梨県出身の資本家群に対する俗称。若尾逸平,雨宮敬次郎,根津嘉一郎などがその代表で,郷党意識で結ばれていたことから世人は甲州財閥と呼んだ。財閥本来の意味からいう財閥ではない。明治維新期,あるいはそれにつづく資本主義経済発展にともなう企業勃興期という,経済の動きが激しい時代に,彼らの多くは投機に才覚を発揮,商品取引・株式投資で資産を形成し,やがて事業経営にも関与した。彼らが関与した事業経営の産業分野は多岐にわたるが,とりわけ鉄道業と電力業への進出は顕著である。若尾逸平は東京電灯(現,東京電力)株を買い占め,若尾系が撤退する1930年までの約30年間同社は〈若尾の東電か,東電の若尾か〉と称された。また東京市内の路面電車の経営にも関与している。雨宮敬次郎の中央財界進出は甲武鉄道(現在の中央線新宿~八王子)の買収を契機とするものであった。根津嘉一郎は東武鉄道を再建し,その経営に情熱を注いだ。小池国三は若尾家に奉公後独立し株式仲介業小池商店を経営した。彼の株界引退を機に,その事業は新設の山一証券合資会社に譲渡された。小野金六は,1933年王子製紙に吸収されるまで,王子と業界を二分した富士製紙の創設に参加した。彼のおい穴水要七は富士製紙の経営を掌握し,同社は東電と並び,〈甲州財閥の砦〉と称された。
執筆者:大塩 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報