朝日日本歴史人物事典 「佐藤周軒」の解説
佐藤周軒
生年:寛文5(1665)
江戸時代中期の儒学者。岩村藩(岐阜県)藩士。名は広義,通称勘平。周軒は号,晩年塵也と号す。江戸の人。その家は代々武を以てきこえた。朱子学を後藤松軒に学んだ。柳沢吉保が大名にとり立てられたとき,広く名士を招き,周軒を禄300石で招聘しようとしたが受けず,その後師松軒の推薦で20人扶持で岩村藩に儒者として仕えた。その性格は豪放簾直,藩世子の傅となり,世子松平乗賢襲封後は抜擢され老職として300石を受けた。朱子学を奉じ朱子の『文公家礼』にもとづいて『本邦祭儀』を著し,また『四書参考』『小学参考』も著す。家は代々続き佐藤一斎は周軒の曾孫。江戸にて没す。<参考文献>原念斎『先哲叢談』5巻
(沼田哲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報