佐護郡・佐護郷(読み)さごぐん・さごごう

日本歴史地名大系 「佐護郡・佐護郷」の解説

佐護郡・佐護郷
さごぐん・さごごう

佐護郡は鎌倉後期より江戸時代中期にかけてみえる郡で、対馬八郡の一つ。「和名抄」にみえる上県かみあがた郡佐護郷の郷名を継承する。現上県町の北部、上対馬町の北部に相当する。海上交通の要湊を擁し、また佐護川流域の生産力などから中世には対馬島主の直轄領とされた。なお室町初期には豊崎とよさき郡が分立している。江戸中期以降は対馬八郷の一つとして佐護郷と改める。

〔佐護郡〕

古代の佐護郷が改編されて院という単位が成立している。安貞二年(一二二八)九月一一日の源某裁許状(島居勝義氏所蔵文書)に「佐護院」とみえており、院内の塩田四段をめぐって相論になっている。この郡域は「和名抄」の佐護郷のほか、久須くす郷域を含むものと推定されている。応長元年(一三一一)の文書に佐護郡とあるとされているが(津島紀略)、貞和四年(一三四八)「さこのくんし」や伊奈郡司らは、けち(現美津島町)大掾から近年「すいしうやくのようとう」が無沙汰であるとして本年は納入するよう命じられている(同年一〇月八日「宗妙意書下」宗家判物写)。貞和五年「さこのこほり」の「てんやく」が下津しもつ郡・三根みね郡の例と同じく下地に課して収納するよう命じられている(同年九月二二日「宗妙意書状」対馬島居勝義氏所蔵文書)

康安二年(一三六二)四月一一日の宗宗香書下写(下津八幡宮文書)によれば、「さこ」に下津八幡宮(現厳原町)の九月九日節句田二反などの神事料所が置かれていた。貞治三年(一三六四)「さこのこほりのうち、かしわらのうほた壱たん」が下津八幡宮の社領として確認されている(同年二月二一日「某書状」与良郷宗家判物写)。同四年「けちの大せう」が訴えている「さこのこほりくひり」の畠地の稗について、刈入れ潮時になれば訴訟当事者が手を触れないように刈置いて注進するよう「さこのくんし」「同ちやうつかい」が指示を受けている(同年七月三〇日「宗宗慶書下」同判物写)。また同年「さこのくんし」らは下津八幡宮の大床の材木を一月二〇日までに用意するよう命じられている(同年一一月一九日「某書下」宗家判物写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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