何礼之(読み)ガ ノリユキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「何礼之」の解説

何 礼之
ガ ノリユキ


肩書
貴院議員(勅選),内務大書記官

別名
幼名=礼之助

生年月日
天保11年7月13日(1840年)

出生地
肥前国彼杵郡長崎村伊良林郷(長崎県)

経歴
長崎唐通事の長男に生まれ、中国語を学んで家職を継ぐ。また長崎英語伝習所で英語を学ぶ。明治元年開成所御用掛、3年大学少博士となり、4年岩倉使節団に一等書記官として随行する。帰国後、内務省出仕、翻訳事務に従事。のち内務権大丞、内務大書記官、元老院議官、高等法院予備裁判官を歴任し、24年貴院議員に勅選された。訳書モンテスキュー「万法精理」などがある。

没年月日
大正12年3月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「何礼之」の解説

何礼之

没年:大正12.3.2(1923)
生年:天保11.7.13(1840.8.10)
明治時代の官僚。長崎唐通事の長子として長崎に生まれる。幼名礼之助。中国語を学び家職を継ぐが,さらに長崎英語伝習所において英学を学ぶ。明治1(1868)年開成所御用掛。1等訳官兼造幣局権判事,洋学校督務を経て,3年大学少博士。4年岩倉遣外使節団に随行。5年外務2等書記官を兼任。帰国後,駅逓寮,内務省に出仕,翻訳事務に携わる。9年内務権大丞。10年内務権大書記官・図書局長。13年内務大書記官。17年元老院議官。24年貴族院議員となり,没年まで在職。また,モンテスキュー『万法精理』などの訳書がある。<参考文献>衆議院・参議院編『議会制度七十年史』

(佐々博雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「何礼之」の解説

何礼之 が-のりゆき

1840-1923 明治-大正時代の官僚,翻訳家。
天保(てんぽう)11年7月13日生まれ。慶応4年開成所御用掛。明治4年岩倉特命全権大使に随行,欧米各国の憲法調査。内務大書記官,貴族院議員。翻訳したモンテスキュー「万法精理」は政界影響をあたえた。大正12年3月2日死去。84歳。肥前長崎出身。

何礼之 が-れいし

が-のりゆき

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「何礼之」の解説

何 礼之 (が のりゆき)

生年月日:1840年7月13日
明治時代の官吏;洋学者。開成所御用掛;訳官
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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