日本歴史地名大系 「修学院経塚」の解説
修学院経塚
しゆがくいんきようづか
[現在地名]左京区修学院丸子青良ヶ谷町
経塚の場所は古くから
二基とも石室内にはともに陶製経筒が納められていた。一基にはいわゆる高麗青磁の合子が添えてあり、経筒内には鈕の右に「湖州真正方家、煉銅無比照子」と銘のある直径約一〇センチの銅鏡と、刀子が副葬されていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
経塚の場所は古くから
二基とも石室内にはともに陶製経筒が納められていた。一基にはいわゆる高麗青磁の合子が添えてあり、経筒内には鈕の右に「湖州真正方家、煉銅無比照子」と銘のある直径約一〇センチの銅鏡と、刀子が副葬されていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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