デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「俵屋宗理」の解説
俵屋宗理(初代) たわらや-そうり
はじめ住吉広守に師事。のち尾形光琳の画風をまなび,光琳とおなじ青々の号をもちい,俵屋宗達にあこがれて俵屋と称した。弟子の葛飾北斎(かつしか-ほくさい)が2代をつぐ。天明2年?死去。通称は元知。別号に柳々居,百琳など。作品に「楓図屏風(かえでずびょうぶ)」など。
…1778年(安永7),勝川春章の門に入り,翌年に春朗と号して役者絵を発表,以後,役者絵,角力絵,浮絵,黄表紙の挿絵を描く。94年ころ,勝川派を破門された後,狩野,住吉,琳派,洋風画派を学び,2世俵屋宗理を名のり,30歳代後半に至って自己の画風を確立,97年に北斎と初めて号した。このころ,《東遊》《東都名所一覧》等の絵入狂歌本に優れた挿絵を描いて注目され,《くだんうしがふち》等では洋風の遠近・陰影表現による風景版画シリーズも発表する。…
… 1800年(寛政12)前後に大坂で活躍した中村芳中も個性的な琳派画家であったが,琳派の中心はこのころから完全に江戸へ移った。乾山,何帠に続き江戸で活躍した俵屋宗理が果たした先駆的役割を発展させたのが,酒井抱一である。抱一は初め種々な流派を学んだが,酒井家から扶持を受けていたことがある光琳の画風を知って傾倒,その江戸的復興を試みた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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