20世紀日本人名事典 「倉田哲治」の解説
倉田 哲治
クラタ テツハル
昭和・平成期の弁護士
- 生年
- 大正15(1926)年6月19日
- 没年
- 平成10(1998)年7月24日
- 出生地
- 静岡県
- 出身地
- 神奈川県横須賀市
- 学歴〔年〕
- 中央大学法学部〔昭和27年〕卒
- 経歴
- 昭和29年弁護士登録、同年開業。31年から松山事件の弁護に加わり、再審で無罪を得る。ほかに免田事件、狭山事件など数多くの再審事件に人権派弁護士として取り組む。松川・青梅事件や、60・6・15安保反対運動国会南通用門事件、土田・日石・ピース缶冤罪事件など著名な刑事事件で活躍。59年ロッキード裁判の田中弁護団に加わる。一方、青木英五郎の遺志を継いで57年作家・伊佐千尋らと陪審裁判を考える会を設立し、以来誤判防止に陪審裁判制度の復活を提唱。また明治大学教授・菊田幸一らと死刑執行停止連絡会議を設立するなど、広く社会啓発運動を主宰。自由人権協会理事、57年東京弁護士会人権擁護委員会委員長を歴任。著書に「倉田弁護士 事件簿」、共著に「解読・暴力団新法」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報