青木英五郎(読み)アオキ エイゴロウ

20世紀日本人名事典 「青木英五郎」の解説

青木 英五郎
アオキ エイゴロウ

昭和期の弁護士



生年
明治42(1909)年12月9日

没年
昭和56(1981)年1月3日

出生地
神奈川県横須賀市

学歴〔年〕
京都帝国大学法学部〔昭和9年〕卒業

経歴
昭和12年裁判官生活に入り、陸軍司政官として南方占領地の軍政関与。終戦後、英軍捕虜を経て、22年復職し、京都、大阪地裁などで刑事裁判を担当。大阪地裁刑事十部の裁判長をしていた37年、八海事件で「5人共犯の疑い」として広島高裁に審理のやり直しを命じた最高裁判決に抗議するかたちで辞任して弁護士に転じ、同事件の弁護人となった。以後、仁保事件、狭山事件など、冤罪として問題となった難事件の弁護人として活躍、刑事裁判での「誤判」の追及終生、情熱を注いだ。著書に「裁判官の戦争責任」「刑事裁判の論理」「事実誤認の実証的研究」など。「青木英五郎著作集」(全3巻 田畑書店)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木英五郎」の解説

青木英五郎 あおき-えいごろう

1909-1981 昭和時代の裁判官,弁護士。
明治42年12月9日生まれ。昭和12年裁判官となり,大阪地裁裁判長などを歴任。37年八海(やかい)事件の弁護人になるため退官,以後弁護人として,仁保(にほ)事件,狭山事件など刑事裁判の誤判追及につくした。昭和56年1月3日死去。71歳。神奈川県出身。京都帝大卒。著作に「狭山裁判批判」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「青木英五郎」の解説

青木 英五郎 (あおき えいごろう)

生年月日:1909年12月9日
昭和時代の裁判官;弁護士
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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