倉真村(読み)くらみむら

日本歴史地名大系 「倉真村」の解説

倉真村
くらみむら

[現在地名]掛川市倉真

倉真川の上流域にあり、西は上西郷(かみさいごう)村。村の北東端に粟(あわ)ヶ岳(五二七・三メートル)がそびえる。倉真川は村内最北部松葉(まつば)の北の山中を水源とする。寛永元年(一六二四)の免状では上(かみ)村と下村に分れていた(掛川誌稿)。現在の倉真は一区から七区に分けられている。「掛川誌稿」に上組・下組の地名の内訳がみえ、上組のうち戸沢(とざわ)(砥沢)は四区、里在家(さとざいけ)・金井場(かねいば)・宮(みや)ヶ島(しま)・樽脇(たるのわき)(樽ノ脇)・海(かい)ヶ島(しま)(貝ヶ島)・佐野(さの)は三区、新在家(しんざいけ)・田島(たじま)・社地(やしろじ)・真砂(まさご)は五区、下組のうち牛丸(うしまる)・小和田前(おわだまえ)を一区、大島(おおしま)・柳沢(やなぎざわ)は二区にあたり、上組の真砂の北にある松葉は庄屋支配の関係で下組に属し、六区にあたる。

嘉暦三年(一三二八)一一月六日の兵部請取状(光明寺古文書)に「をたかの御くりやのうちくらミのかう」とみえ、倉真郷の上分口入米四石九斗五升を下西郷南方(しもさいごうみなみかた)の兵部が請取っており、鎌倉末期の倉真郷は小高(おたか)御厨のうちにあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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