日本歴史地名大系 「倭文庄」の解説
倭文庄
しとりのしよう
「和名抄」久米郡倭文郷の郷名を継ぐものか。戦国期の史料に
延文五年(一三六〇)三月一三日、委(倭)文安房守の知行していた公文職が守護赤松貞範に与えられ(「足利義詮下文」富田仙助氏所蔵文書)、明徳三年(一三九二)正月二四日には公文職に加えて地頭職も赤松顕則に与えられた(「足利義満御教書」同文書)。南北朝内乱により社領からの納入分が減少したため、当庄年貢を担保に正珍より借金をした。しかし納入されなかったためか永享二年(一四三〇)九月二九日、幕府は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報