デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「僧鎔」の解説 僧鎔 そうよう 1723-1783 江戸時代中期の僧。享保(きょうほう)8年生まれ。浄土真宗本願寺派。霊潭(れいたん)について出家,越中(富山県)善巧寺の住職となり,21歳で京都にでて僧樸(そうぼく)にまなぶ。のち,おおくの門人を育成,その学派を空華轍(くうげてつ)という。天明3年10月2日死去。61歳。越中出身。俗姓は渡辺。初名は霊関。字(あざな)は子練。号は空華,雪山。諡(おくりな)は明教院。著作に「本典一渧録(いったいろく)」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例