儀間真常(読み)ぎましんじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「儀間真常」の意味・わかりやすい解説

儀間真常
ぎましんじょう
(1557―1644)

沖縄の殖産興業に尽くした功労者。唐名(とうめい)を麻平衡(まへいこう)と称した。野国総管(のぐにそうかん)が1605年(慶長10)ころ中国よりもたらした甘藷(かんしょ)(サツマイモ)の栽培法とその普及に尽力し、新しい食糧資源の定着に大きな役割を果たした。また、23年(元和9)ごろには家人福州(中国福建省)に派遣して製糖法を学ばせ、自家で製造を試みたあと普及に努力するなど糖業の基礎を築くうえでも貢献した。なお、その前の11年には鹿児島から木綿(きわた)の種子を導入し、その栽培法と木綿(もめん)織の確立に寄与したともいわれる。これらの功により彼は紫冠(しかん)に叙せられたという。島津侵入事件(1609)後の近世を通じてこの甘藷、製糖、木綿織は、ともに琉球(りゅうきゅう)の主要産業として発展していくことになる。

[高良倉吉]

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朝日日本歴史人物事典 「儀間真常」の解説

儀間真常

没年:尚賢4.10.14(1644.11.12)
生年:尚元2(1557)
17世紀前半期の琉球の殖産興業家。首里(那覇市)生まれ。幼名真市,唐名は麻平衝。真和志間切儀間村地頭職に就き,漸次昇進して勢頭役。尚寧17(1605)年野国総管が中国から持ち帰った甘藷を請い求めその栽培法を研究。十数年後には甘藷栽培が沖縄全域に普及,台風と干害のために飢饉の多発する琉球の食糧問題の解決に光明をもたらした。また同23年,薩摩から木棉の種を持ち帰り,屋敷内で試植,製織し,後世琉球絣の基礎を築いた。さらに尚豊3(1623)年,人を中国へ送って中国から製糖法を学びとらせ,琉球名産としての黒糖生産の基を開いた。<参考文献>伊波普猷東恩納寛惇・横山重共編『琉球国由来記』(琉球資料叢書1巻)

(葉山禎作)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「儀間真常」の解説

儀間真常 ぎま-しんじょう

1557-1644 琉球の殖産家。
尚元王2年生まれ。真和志間切(まわしまぎり)儀間村の地頭,のち勢頭役。野国総管(のぐにそうかん)によって明(みん)(中国)からもたらされたサツマイモの栽培,普及につくす。1611年薩摩(さつま)(鹿児島県)から綿の種子を入手して試植し,また1623年家人を明の福州に派遣して製糖法をまなばせるなど,琉球絣(がすり)と黒糖生産の基をきずいた。尚賢王4年10月14日死去。88歳。唐名は麻平衡(ま-へいこう)。

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