光村利藻(読み)ミツムラ トシモ

20世紀日本人名事典 「光村利藻」の解説

光村 利藻
ミツムラ トシモ

明治〜昭和期の実業家 光村原色印刷所創立者。



生年
明治10(1877)年11月4日

没年
昭和30(1955)年2月21日

出生地
大阪府

学歴〔年〕
慶応義塾卒,二松学舎卒

主な受賞名〔年〕
セントルイス万博名誉金碑〔明治37年〕「仁和寺蔵国宝孔雀明王像木版多色刷り復元」

経歴
海運業などで巨富を築いた父・弥兵衛が死亡、15歳で家督を継ぐ。少年時代から古美術などの写真撮影に熱中、やがて印刷業へ発展。明治42年神戸に光村印刷会社(現・光村原色印刷所)を設立した。大正3年東京の神田神保町に光村印刷所を創立。このころから経営長男利之、支援財界グループに移して隠居。この間古美術、刀剣映写機、X線写真装置などを収集。また一流芸能人総動員の誕生パーティー、一流芸者落籍で話題をまいた。明治37年セントルイス万博に、京都・仁和寺蔵・国宝孔雀明王像を木版多色刷りで復元出品、名誉金碑を受けた。敗戦後は自伝執筆に専念

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「光村利藻」の解説

光村利藻 みつむら-としも

1877-1955 明治-昭和時代前期の実業家。
明治10年11月4日生まれ。光村弥兵衛の長男。写真の趣味もとに,明治34年神戸に関西写真製版印刷(のち光村印刷)を創立したが経営に失敗。大正3年東京で再起し,昭和3年光村原色版印刷所と改称。6年引退。印刷美を追求し,「原色版の光村」の評価をきずいた。昭和30年2月21日死去。77歳。大阪出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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