免許町(読み)めんきよまち

日本歴史地名大系 「免許町」の解説

免許町
めんきよまち

[現在地名]徳島市西新町にししんまち五丁目・西大工町にしだいくまち五丁目

西新町の西に続く町人地で、西新町の五丁目にあたる。御免許ごめんきよ町ともいう。「阿波志」によれば、古くは正通まさみち街と称し、天正一三年(一五八五)三木正通が播磨龍野から来住して初め当地に居住。少しのち坊が形成され、坊丁役を免除されたことから免許町と名付けられたという。同書氏族の項では三木正通は同年龍野から蜂須賀氏とともに徳島へ移り、当初西寺島にしてらしまに居住地を与えられ、禄高三〇〇石を得ていたが、のち西新町に移り、その子孫は網干屋を称したとある。


免許町
めんきよまち

[現在地名]米沢市大町おおまち二―四丁目

やなぎ町の一筋東の南北の道両側の職人町。大町柳町などの六町(本町)に対し、脇町と称された一三町のうち。江戸時代初期は御免ごめん町と称した。文禄二年(一五九三)蒲生氏郷の入部以後の成立と考えられ、慶長二年(一五九七)城下一一町の地租・上納条件が決められたなかに御免町がみえる(米沢商業記録)。翌三年直江兼続の城下総町検地により当町の店舗役銭が決められた(管見談)。寛文一二年(一六七二)の惣町軒数目録によれば軒数一四〇余、うち五三軒余は諸税免除であったが、藩主の江戸往復時の山上やまかみ大橋までの道路整備・川除けに出役したほか、藩の御用職人として諸細工に従事していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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