全アフリカ人民会議(読み)ぜんアフリカじんみんかいぎ(その他表記)All African Peoples' Conference; AAPC

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「全アフリカ人民会議」の意味・わかりやすい解説

全アフリカ人民会議
ぜんアフリカじんみんかいぎ
All African Peoples' Conference; AAPC

アフリカ各地の政治団体の代表者を中心とした人民会議。 1958年 12月 K.エンクルマ招請によりガーナの首都アクラで開かれ,アフリカ全域から非自治地域を含めた 25ヵ国,62の民族主義政党団体の代表者が結集した。アフリカ全植民地の即時独立と統一,人種差別撤廃などを決議し,当時高まっていたアフリカの独立運動に大きな刺激を与えた。第2回会議は 60年1月チュニスで,第3回会議は 61年3月カイロで開かれた。政府レベルのアフリカ諸国会議と並んで,民間レベルのこの人民会議は,エンクルマの唱える政治的汎アフリカ運動の二大推進力となったが,エンクルマの失脚 (1966) ,政治的汎アフリカ運動の退潮とともに事実上消滅した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「全アフリカ人民会議」の解説

全アフリカ人民会議(AAPC)(ぜんアフリカじんみんかいぎ)
All African Peoples' Conference

1958年12月エンクルマ提唱で,ガーナの首都アクラで28地域の代表250名の参加を得て開催された会議。パン・アフリカニズム思想に支えられ,英語圏だけでなく,フランス語圏,ポルトガル語圏,アラビア語圏を統合し,「アフリカ合衆国」構想実現の出発点とされた。新植民地主義帝国主義に対する反対,アフリカの全植民地の即時独立の要求が決議された。また,同会議で共同闘争組織である全アフリカ労働組合連盟の発足に向けての準備作業が開始された。

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