知恵蔵 の解説
全国高等学校ラグビーフットボール大会
1918年に『日本フートボール大会』の名称で第1回大会が開催された。翌19年の第2回大会から『日本フットボール大会』へと改称。26年の第9回大会からは『全国中等学校大会』、49年の第28回大会からは『全国高校ラグビー大会』へと改称された。
開催場所は第1回から第5回大会までが豊中運動場、第6回と第7回大会は宝塚運動場、第8回から第10回大会までは甲子園球場、第11回から第25回大会までは南甲子園運動場、第26回と第27回大会は西宮球技場、第28回大会は東京ラグビー場(現秩父宮ラグビー場)、第29回から第41回大会までは西宮球技場、そして63年の第42回大会からは花園ラグビー場にて行われることが定着した。なお42年の第24回大会は太平洋戦争のために近畿と九州の2地区で全国大会が分離開催され、南甲子園運動場に加えて福岡春日原球場でも大会が行われている。
大会の初期には現在の高校にあたる中学だけでなく、高専や大学のチームも参加しており、また戦前には朝鮮、台湾、満州からも代表校が出場していた。戦後は長らく日本の高校ラグビー部のみの参加だったが、2003年度の第83回大会で、学校教育法第1条に定める学校以外の学校として大阪朝鮮高級学校が初出場した。
現在の大会への参加は全国の都道府県予選を勝ち上がった代表校であるが、広い北海道は南北の2校、東京都と大阪府は学校数が多いため2校の出場枠がある。さらにこの大会は全国高等学校体育大会を兼ねており、開催都道府県枠として大阪府にはもう一つ出場枠が与えられている。このため大会は大阪府が3、北海道と東京都が2、その他の44府県が1の計51校の参加で行われている。
なお近年は部員数の減少等により、ラグビー部はあっても単独チームを作ることのできない学校が増えたため、00年度の第80回大会から合同チームによる予選の参加が認められた。ただし全国大会は単独校による出場しか認められていないため、仮に都道府県予選を勝ち抜いても代表校になることはできない。大会の最多優勝校は15回の秋田工、大会最多連覇校は第3回から第7回大会まで5連覇した同志社中となっている。
(場野守泰 ライター/2018年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報