八反畑村(読み)はつたんばたむら

日本歴史地名大系 「八反畑村」の解説

八反畑村
はつたんばたむら

[現在地名]浜松市大柳町おおやぎちよう

大柳村の西に位置し、北は西恩地にしおんじ村、西は敷知ふち寺脇てらわき村。正保郷帳では敷知郡、元禄郷帳では長上郡に属した。松平忠頼領郷村帳では高六一石余、田二町八反余・畑四町一反余。元和三年(一六一七)の水野重仲知行目録に村名がみえる。


八反畑村
はつたばたむら

[現在地名]三島市八反畑

御殿ごてん川西岸に位置し、北は鶴喰つるはみ村、同川東対岸はなか村。元禄郷帳によると高一七五石余。江戸時代の領主変遷は鶴喰村に同じ。稲荷神社は慶長元年(一五九六)創立で、当初は渡辺金大夫・加藤清右衛門の守護神であったが、霊験あらたかであったので正徳三年(一七一三)に当村の氏神となったと伝承する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む