日本歴史地名大系 「八反畑村」の解説 八反畑村はつたんばたむら 静岡県:浜松市旧長上郡・豊田郡地区八反畑村[現在地名]浜松市大柳町(おおやぎちよう)大柳村の西に位置し、北は西恩地(にしおんじ)村、西は敷知(ふち)郡寺脇(てらわき)村。正保郷帳では敷知郡、元禄郷帳では長上郡に属した。松平忠頼領郷村帳では高六一石余、田二町八反余・畑四町一反余。元和三年(一六一七)の水野重仲知行目録に村名がみえる。 八反畑村はつたばたむら 静岡県:三島市八反畑村[現在地名]三島市八反畑御殿(ごてん)川西岸に位置し、北は鶴喰(つるはみ)村、同川東対岸は中(なか)村。元禄郷帳によると高一七五石余。江戸時代の領主の変遷は鶴喰村に同じ。稲荷神社は慶長元年(一五九六)の創立で、当初は渡辺金大夫・加藤清右衛門の守護神であったが、霊験あらたかであったので正徳三年(一七一三)に当村の氏神となったと伝承する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by