日本歴史地名大系 「八幡要害跡」の解説 八幡要害跡はちまんようがいあと 群馬県:吾妻郡中之条町横尾村八幡要害跡[現在地名]中之条町横尾 栃瀬八幡山(はちまんやま)城ともよばれる戦国時代の城。赤坂(あかさか)川が名久田(なくた)川に合流する南側の段丘上にあり、北側を赤坂川、東側を名久田川が取巻くような形となっている。川に面したところは断崖で、南北二〇〇メートルにわたって城構があり、最高所に四〇メートル方形の本丸がある。高さ四メートルの土居は完全に残り、南側に腰曲輪をめぐらせ、井戸も残る。「吾妻記」によると尻高三河守が大永年間(一五二一―二八)に築城、家臣の塩原源太左衛門を置いたという。天正八年(一五八〇)真田昌幸が攻略し、家臣富沢豊前守を置いた。北条氏と真田氏が沼田城をめぐって争った同一二年以降は、北条氏に対する備えとして番衆を置き、八幡要害の重要性が増した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by