日本歴史地名大系 「松館村」の解説 松館村まつだてむら 青森県:八戸市松館村[現在地名]八戸市松館八戸城下の東南、新井田(にいだ)川の支流松館川の流域に位置する。東は角柄折(つのがらおり)村(現三戸郡階上町)、西は是川(これかわ)村、南は金山沢(かなやまざわ)村(現階上町)、北は妙(みよう)村・十日市(とおかいち)村に接する。応永一九年(一四一二)の大慈寺梵鐘勧進奉賀帳(遠野南部文書)に「糠部群(郡)八戸松楯」とある。中世以来根城南部氏の有力な勢力地盤であったとみられ、同氏の菩提寺とされる大慈(だいじ)寺や同氏が戦勝祈願に勧請したという籠田月山(かごたがつさん)堂(現月山神社)が所在する。元和四年(一六一八)の知行目録に「百九拾五石三斗八升九合 松館」「拾石六斗八升三合 下寺地」とあり、藩政当初は盛岡藩に属し、根城南部氏に給されていた。 松館村まつだてむら 秋田県:鹿角市松館村[現在地名]鹿角市八幡平(はちまんたい) 松館夜明島(よあけじま)川が米代川に注ぐ辺りに位置し、南は石鳥谷(いしどりや)村。中世の館名を村名とする。現岩渕(いわぶち)には縄文期の遺跡がある。寛政(一七八九―一八〇一)頃の「邦内郷村志」に村名が出る。近世初期の「鹿角郡由来記」に「松館村 松館越前領知 本名阿保也 館有」とあり、中世後期には開村していた。集落北西、山地に連なる台地に中世館跡があり、連郭性の平坦面と天神社を残す。比高およそ六〇メートル、天然の沢を利用し軍事的性格に富む。天神館(てんじんたて)と精左衛門館(せいざえもんたて)の名称が高所にあり、視界が開ける。寛政時代の村高三三〇石六斗余でうち蔵分一七石六斗、民戸四九軒でうち一三軒が黒沢(くろさわ)、二軒が川原(かわはら)(邦内郷村志)。 松館村まつだてむら 青森県:南津軽郡平賀町松館村[現在地名]平賀町松館平(ひら)川中流右岸にあり、対岸は新里(にさと)村(現弘前市)、南東の松崎(まつざき)村、東の館山(たてやま)村とほぼ一体をなす。貞享元年(一六八四)の郷村帳に寛文四年(一六六四)以降の新田として高六〇四・五石とある。貞享四年の検地帳に村高二八四・〇二九石、うち田方二五町六反一畝歩、二三五・五四三石、畑方一一町七反二畝二八歩、四八・四八六石とあり、ほかに村中抱えの田畑地一一町二反八畝二六歩、池床二町三反三畝二六歩、漆木一〇七本、沼四八間に三間で四畝二四歩、川原三ヵ所で三町九反二畝二四歩、永荒畑一反五畝一八歩とあり、屋敷持百姓は九名。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by