日本歴史地名大系 「八沼館跡」の解説 八沼館跡やつぬまたてあと 山形県:西村山郡朝日町八沼村八沼館跡[現在地名]朝日町三中 八ッ沼最上川左岸、川からの比高約一一〇メートルの丘陵上にある中世の館跡。東西七〇〇メートル・南北二五〇メートルの山城で、現在も郭・空堀・腰郭が認められる。近世の写である八ッ沼城図(朝日町教育委員会蔵)によると、城の西側に春日(かすが)沼があり、急峻な崖となっており、東に最上川を望み、南側に郭が残り、付近に家臣の屋敷が配置されていた。東の前面には館回りの町がつくられ、上宿(かみじゆく)には鍛冶屋敷があり、五百苅(ごひやつかり)・十二倉(じゆうにくら)の地名が残る。中宿には原氏の祈願寺である若宮(わかみや)寺があり、下宿には城の鬼門鎮護の道場で、永禄五年(一五六二)西船渡(にしふなと)村より移転した一応(いちおう)寺跡と市の跡がみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by