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公孫瓚 こうそんさんGong-sun Zan; Kung-sun Tsan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

公孫瓚
こうそんさん
Gong-sun Zan; Kung-sun Tsan

[生]?
[没]建安4(199)
中国,後漢末の群雄の一人。遼西の人。孝廉にあげられた。中平年間 (184~189) に,烏丸を討って功を立て,初平2 (191) 年,黄巾の賊 (→黄巾の乱 ) を大破した。次いで袁紹の罪を鳴らしてこれと戦い,また,劉虞を破って幽州を得,易を根拠地とした。のち劉虞の子劉和,袁紹,烏丸の連合軍と戦って敗れ,次いで建安4 (199) 年,袁紹の軍に大敗して自害した。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうそんさん【公孫瓚 Gōng sūn Zàn】

?‐199
中国,後漢末の群雄の一人。字は伯珪(はくけい)。遼西の令支(河北省)の人。孝廉に挙げられて遼東属国長史に除せられ,霊帝のとき張純らを破って功をたて降虜校尉に拝せられた。つねに白馬に乗っていたので,烏桓(うがん)は〈白馬長史〉と呼んでその勇を恐れたという。献帝の191年(初平2)黄巾の賊30万を破って奮武将軍となり,ついで劉虞を討って幽州を得,華北に大きな勢力を張ったが,袁紹に攻められて敗死した。【日原 利国

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

公孫
こうそんさん
(?―199)

中国、後漢(ごかん)末の群雄の一人。遼西(りょうせい)令支(河北省昌黎(しょうれい)県北東)の人。初め郡の下吏となり、美男と大声で太守に認められた。烏丸(うがん)討伐に功をたてて降虜校尉(こうりょこうい)となり、191年には青州、徐州の黄巾(こうきん)軍30万を破って威名をとどろかせ、奮武(ふんぶ)将軍に任ぜられた。このころから華北の雄、袁紹(えんしょう)との対立が始まり、は幽州牧の劉虞(りゅうぐ)を虜(とりこ)にしてその地を奪い、易京(河北省雄県北)を根拠地とした。袁紹との戦いは勝敗を繰り返したが、は易京付近に屯田を開いてこれに備えた。しかし、吏民を過酷に扱ったため、配下の郡県の長官も彼に背くに至ると、は城門を鉄でつくり、7歳以上の男子は入城を禁止するなど猜疑心(さいぎしん)を強めた。198年、袁紹の攻撃が強くなり、翌199年に大敗すると、姉妹妻子を殺し、館(やかた)に火を放って自殺した。[五井直弘]

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