烏桓 (うがん)
Wū huán
前2~後3世紀初,内モンゴルのラオハ川流域を中心に活動した遊牧民族。烏丸とも記され,前206年ころ匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)に滅ぼされた東胡の一派。族名については,蒙古語ukhaghan(賢),unagan(奴隷)などとする説がある。前漢時代は小部落にわかれ匈奴に属した。鬼神,天地,山川,日月を祭り,シャマニズムを信奉し,頭髪をそりおとす風習があった。後漢時代に中国寄りに移動してその北辺防衛部隊となり,後漢末の混乱期に大同団結し袁紹に通じたが,207年(建安12)曹操に撃破され四散した。
執筆者:杉山 正明
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烏桓【うがん】
烏丸とも記す。東部モンゴリアにいた古代遊牧民族。東胡の後身,主として漢代に活躍。3世紀初め魏に征服され,その勢力も倒壊。
→関連項目単于
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烏桓(烏丸)
うがん
漢代に東部内モンゴルに拠ったモンゴル系遊牧民
前3世紀末,匈奴に滅ぼされた東胡の子孫で,ラオハ川(遼河の上流)流域を根拠地とした。後漢末期には勢力強大となり,中国の脅威となったが,3世紀初め魏の曹操 (そうそう) のために壊滅。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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