日本歴史地名大系 「六ヶ村堰」の解説
六ヶ村堰
ろつかそんせぎ
小牧村の手塚文書、寛永一〇年(一六三三)の免相所載の「申のせぎ成一一三文」と正保二年(一六四五)の「申のせぎ成一貫二一八文」のあることを理由に、六ヶ村堰は寛永九年申年、仙石政俊の代にできたものとされているが、その後の調べで、元和八年(一六二二)に成立した上田御領分惣貫高帳(西沢文書)のうち、諏訪形村の書上の中に「四貫百五拾七文、大せき荒ニ成」と記され、大堰が氾濫し、荒地が四貫文もできたことを物語っている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報