六ヶ村堰(読み)ろつかそんせぎ

日本歴史地名大系 「六ヶ村堰」の解説

六ヶ村堰
ろつかそんせぎ

小牧(こまき)山の北麓小牧村の小字太田切(おおたぎり)地籍で千曲川より揚水し、小牧・諏訪形(すわがた)・御所(ごしよ)・中之条(なかのじよう)・神畑(かばたけ)・上田原(うえだはら)の六ヵ村の田用水となっている。流末は産(さん)川に入る。灌漑面積二五〇町歩(昭和三五年上田市農政課調)、全長およそ七キロ。

小牧村の手塚文書、寛永一〇年(一六三三)の免相所載の「申のせぎ成一一三文」と正保二年(一六四五)の「申のせぎ成一貫二一八文」のあることを理由に、六ヶ村堰は寛永九年申年、仙石政俊の代にできたものとされているが、その後の調べで、元和八年(一六二二)に成立した上田御領分惣貫高帳(西沢文書)のうち、諏訪形村の書上の中に「四貫百五拾七文、大せき荒ニ成」と記され、大堰が氾濫し、荒地が四貫文もできたことを物語っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

アジア諸国の友好と平和促進とを目的としたスポーツ大会。第1回は1951年にインドで開催。原則としてオリンピックの中間年に行われる。主催はアジア‐オリンピック評議会。→アジア冬季競技大会...

アジア競技大会の用語解説を読む