日本歴史地名大系 「神畑村」の解説
神畑村
かばたけむら
嘉暦四年(一三二九)三月の鎌倉幕府下知状案(守矢文書)に「五月会分、山家郷地頭等、付小泉庄内加畠・御子田・室賀海野信濃権守知行分」として、中世の
戦国期は村上氏の勢力下におかれていたが、天文一七年(一五四八)の上田原合戦のあと、しばらくして武田氏の勢力下におかれた。天正七年(一五七九)二月上諏訪造宮帳(諏訪大社上社文書)に「大宮二之御柱(中略)正物七百文・小役仁百四十文」として、近隣一三郷とともに二之御柱の造宮料を課せられている。
神畑村
かんばたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報